青春プレイバック(三)
黄河大鉄橋
シルクロードに初めて足を踏み入れた旅は、蘭州からはじまった。日記によれば、それは一九八一年 七月十三日(月)のことだったらしい。蘭州の街は、西から東に流れる黄河に沿って発展した。そのことは、宿泊先の蘭州飯店からちょっと歩いて黄河の河畔に立つとすぐにわかった。
黄河大鉄橋は、この街のランドマークだ。人やバス、トラックの往来が頻繁で、雑踏している。河水は茶色に濁り、河岸では大きな水車の左公車がゆっくりとまわる。付近の国営商店の店頭にはちょうど出まわりはじめた大きな白蘭瓜が並び、市民が並んでそれを買い求めていた。蘭州牛肉麺を売る屋台にも人が群がっている。
何年もあとのことだが、蘭州やオルドス(鄂爾多斯)砂漠の淵にある銀川、楡林などの空港から飛行機に乗ると、離陸してまもなく、眼下には黄土高原の偉容が展開することを知る。まるで、大海原に逆巻く黄色い巨浪がのた打つような絶景に圧倒された。何万年、何十万年という時間をかけ、黄沙が降り積もって築かれた大自然のパノラマだ。
古来、黄沙は朔風とよばれるゴビの北風に乗って中原に吹きだまり、甘粛や陜西、山西の大地にうず高く降り積もった。その高さは二十~二百メートルにも達するという。黄沙が堆積した一帯が黄土高原だ。広さは四十万平方キロを超え、日本の国土面積をかるく上まわってしまう。そんな大地を南から北へ、西から東へ、そして北から南へとオルドスの淵を大きく湾曲しながら中原を流れているのが中国第二の大河、黄河である。
もう百年以上も前に黄土高原の調査隊に加わった J.G.アンダーソンは、その著『黄土地帯』(六興出版、一九八七年)で黄土層が垂直に沈降するからくりを簡潔に説明している。それによれば、黄土の一粒ひとつぶには微細な気孔があり、容易に水分を透過させる。したがって、雨期の豪雨も地表からすぐに黄土層を通過して砂利、第三紀粘度、あるいは岩盤層に達し、黄土層の下部は水に浸って粥状になる。このため低層はわずかな勾配でも容易に滑動し、それにつられて比較的に乾いている上部の黄土層が垂直に沈降するのだという。このメカニズムが黄土高原を波打たせて地勢にコントラスト与え、人はその沈降した壁面に横穴を掘って住居とした。窰洞のことである。
もう十年ほど以前、万里の長城の取材を進める途中でこの街を再訪した。黄河の河畔に足を運ぶと、四十年前に見た黄河大鉄橋はすでに老朽化して通行禁止になっていたが、当時の姿のまま大河の両岸を結んでいた。やがて撤去されて屑鉄となるこの老醜した大鉄橋を眺めながら、すぎていった数えきれない春秋を反芻し、その星霜に想いをめぐらせた。
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Petri V6+50mm 1:1.8
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