式根島について(一)
バンガイ・カラス
式根島に棲んでいた子供のころ、人里離れた海岸の松林に掘っ建て小屋があり、そこにバンガイ・カラスというアダ名をつけられ、周囲から孤立した爺さんだか婆さんがいた。いつも真っ黒い顔をしていたので、そう呼ばれるのだ、と子供心に思っていた。
きょう、無聊の慰みになにげなく『井伏鱒二自選全集』をぺらぺらめくっていたら、その巻四に「バンガイというカラス」と題する小品を見つけたので読んでみた。放浪する鱒二の逗留した宿屋のおかみさんが紀州の網元から大事なカラスの飼育を託され、毎日、笛を吹いてカラスを呼び、丁寧に餌を与えているという日常の実話を静かに描いたものだ。
鱒二の小品によると、紀州では昔からカラスのことを熊野権現の御使者として、神聖な野鳥とみなしているらしい。その御使者のカラスは四十八羽いて、紀州の猟師がカラスを撃つときは、「四十八羽のそと」と呟いて鉄砲の引き金をひくそうだ。けっして熊野権現の御使者を撃っているのではない、ということを「四十八羽のそと」という言葉にこめているのだろう。
式根島のバンガイ・カラスはまぎれもなく愛すべき善人だったが、ひょっとしたら島民からなんらかの理由で村八分にされ、差別されていたのではないか、ということを鱒二の小品を読んでいて思った。うっすらと記憶に残っている襤褸を纏った爺さんだったか婆さんの暮らしや、みすぼらしい掘っ建て小屋、孤立した境遇などを思い出し、そう感じたのだ。あるいは、わたしの思いすごしかもしれない。
この「バンガイ」という言葉には、とても親しみを感じる。それは、これまでのわたしの人生も、また「番外」の連鎖であったからだ。おそらく離島僻地枠の「番外」で本来なら合格などするはずもない高等学校にうまくもぐりこみ、「番外」すれすれで大学に受かり、「番外」で留学生試験にすべりこみ、そして勤めた企業の幾つかでは、やはり「番外」社員だった。会社の社内電話帳にはそこに勤める何千人かのデスクの番号がすべて掲載されていたが、「番外」社員のそれは丸括弧で括られ、正規社員でないことが一目瞭然だった。いまだって、大学の非常勤講師という身分は、「番外」以外のなにものでもない。
番外は、「規格外」という言葉で代用することもある。わたしは、もうずいぶん若いころから、自分のことを規格外の人間だと思ってきた。部品で言えば、ちょっと小さかったり、あるいは硬すぎたりでサイズや材質が合わないので、どんな製品にも使えるというわけにはいかない。そんな境遇を、たとえば大樹のてっぺんあたりにとまっているカラスのように孤高を誇ることもできるのだ、と慰めてみることはあっても、わたしたちの社会では、「規格外」すなわち「番外」は、どちらかと言えば、やはりまだ生きにくいといわざるをえないのだ。
NEX 7 + Carl Zeiss Planar 50mm 1 : 1.4
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