神津島 神社旅(九)
書き残したこと(神津島)
もうすぐ、帰りの船がくる。書き残したことを簡単にまとめておこう。この島の二大神社、阿波咩命神社と物忌奈命神社は、延喜式神名帳をみると高格の名神大社(名神大)として掲示されている。名神とは律令制下で名神祭の対象となる神々のことで、それを祀る神社を名神大社と称する。驚くことに、現在の行政区画における東京都内で、式内社として名前が載っている名神大社は神津島のこれら二社しかない。
阿波咩命を母とする物忌奈命を祀った前浜海岸の物忌奈命神社は平成十二(二〇〇〇)年に発生した新島・神津島近海地震(三宅島雄山大噴火)で本殿、参集殿、社務所が倒壊し、本殿は二〇〇六年四月、社務所は二〇〇四年七月に再建されている。このとき、倒壊した本殿から「集島(づしまさだめ)大明神」の扁額が発見された。伊豆諸島の焼き出し(造島)、水分けの儀において、物忌奈命が神々の招集など重要な役割りを担ったことを主張するひとつの拠り所ではないかとされる。
阿波咩命のもう一人の子供タフタイ王子を祀る日向神社は、島の東南岸に面した多幸湾にある。日向神社で長く神職を務めた人の家族が親類の酒販売会社を引き継ぎ、ビールの生産に乗り出した。日向麦酒という。島内の各所に湧く良質の水がきっかけになったらしい。 焼き出し(造島)のあとに水分けの儀がこの島で開かれたという神話からも、神津島は豊かな湧き水に恵まれていることがわかる。多幸湾の日向神社付近にある湧水はとくに美味しいらしく、 その水を使って日向麦酒が生まれた。「日向」というブランド名は、もちろん日向神社にちなんだものだ。
伊豆諸島は富士火山帯を形成するが、地質構造は島の並ぶ位置に即して二系列に分類される。大島、利島、鵜渡根島(無人島)、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、鳥島などは安山岩や玄武岩から成る成層火山(コニーデ)、あるいは成層火山が崩れてできたカルデラ(火山活動で生成された大きな凹地)で、富士火山帯の南域に点在している。これに対して神津島や式根島、新島は流紋岩からなる鐘状火山(トロイデ)で、富士火山帯の西北域に位置する。流紋岩帯は神津島、式根島、新島と連なり、利島で安山岩・玄武岩帯と交差する。流紋岩は白く、神津島や式根島、新島に白砂の海岸があるのはこのためだ。
地元の人たちが神津島、式根島、新島の三島を「カタノシマ」と呼んでいたのを子供のころに親しんだ音韻として記憶している。これは鐘状火山島として生成したこれら三島が富士火山帯の西北域に位置したことと関連があるのだと思う。つまり「カタノシマ」とは、おそらく「片の島」の意味で、他の島々よりも西北方向に片寄っていることを表しているのだろう。
伊豆諸島でもっとも標高が低いのは、神津島の南西二十六キロにある銭州の八メートで、その次が東京から小笠原父島への途上にあるべヨネーズ列岩(九メートル)だ。以下、大野原島(三十三メートル、三宅島西方)、恩馳(おんばせ)島(六十三メートル、神津島南西)、蘭灘波(いなんば)島(七十四メートル、御蔵島南西)、地内島(七十七メートル、新島至近)とつづく。標高がもっとも高いのは八丈島の八百五十四メートルで、この山は八丈富士として知られる。伊豆諸島は銭州やべヨネーズ列岩のような岩礁様のものも含めると、大小二十三の島嶼で構成されている。神津島の天上山は標高五百七十四メートルで、点在する島嶼の高さとしては真ん中あたりに位置している。〔各島高度比較図は、新島村役場『式根島開島百年史』(ぎょうせい、昭和六十二年)より引用〕
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α7+Carl Zeiss 50mm 1:1.4+ Sigma 30mm 1:1.4 DC HSM/X-E1+NOKTON 40mm 1.1.4
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