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老残日誌(五) 踊る広場のおばさん
踊る広場のおばさん
中国全国の公園や駅前広場、空き地などでは、おもに中年以上の女性が集団で催眠術にかか ったように踊りはじめて久しい。新旧さまざまな音楽、それを流す拡声器、調子をとるため の太鼓、踊りを統率する指導者、そして女性たちは手にてに扇子やびらびらのついた派手な 日傘をなど持ち、おそろいのユニフォームを着ている場合もある。これは一般的には「広場舞」と称され、恍惚とした表情で踊っている女性は「広場大媽」(広場のおばさん)とよば れている。似たような踊りをはじめて見たのは、二〇〇二年ころ、吉林省の省都、長春の吉 林大学講堂(満州「国」時代の旧神武殿=武道館)においてだった。ふしぎというよりも、 なんともいえぬうす気味わるさを感じた。いま「広場舞」をかたる際に欠かせないキーワー ドは、「広場大媽」、「擾民」、「秧歌」(毛沢東と党を賛美し、忠誠を誓う踊りと歌)、 「健身」などだ。時代は異なるが、文化大革命中にはやった「忠字舞」(毛沢東と党の忠誠 を誓う踊り)にもおなじよう雰囲気を感じるとる人もいるだろう。
延安の駅前広場や南橋公園には、毎日、夕方になると太鼓の音と拡声器から流される革命歌 曲や民謡などが響き、それにあわせて扇や傘を手に掲げた「広場大媽」たちの集団が踊りだ す。女性だけでなく、少数だが男性も混じっている。太鼓も音楽も、かなりにぎやかだ。広 場で踊る「広場大媽」たちの目的は一般的に「健身」と解釈されているようだが、それだけ では説明できないみたいである。これが一地方都市だけの個別的な現象なら、おそらく党= 国家独裁政府は前世紀末に法輪功を抑え込んだたときのような規制に走っていたのではない か。ところがこの「広場舞」はすでに全国の津々浦々に深くはびこってしまい、規制するに は危険すぎるほどに増殖してしまったのだ。うがった見方をすれば、体制側がこの「広場舞」 を操作すれば、全国規模の大衆行動に根ざしたプロパガンダさへ実施することができよう。 あるいは反体制側がうまく利用すれば、政権批判の一大勢力に育てあげることだって可能だ。 極論すれば、なんと中老年のおばさん集団である「広場大媽」が、中国の民主転換、もしく は憲政実現のカギをにぎっている、といっても言いすぎではない状況に至っているのではな いか。
いまや、全国の広場や空き地を席巻するまでに膨張した「広場舞」は、踊る本人たちが意識 しようとしまいと、中国を群衆運動のパワーで動かすことのできる一大勢力である。この集 団を恣意的に利用しようと狙っている政治グループが存在しても、当然であろう。それほど に「広場大媽」と彼女たちが毎朝、毎晩繰りひろげる「広場舞」は中国社会に広く、深く浸 透してしまった。奇妙な「広場舞」は、早朝や夕方から夜にかけて展開されることが多い。 踊りにあわせる音響がけっこう騒々しく、近辺にある高層住宅に棲む住人がこれを嫌って舞 踊集団に人糞を投げつけた事件などが起きて、ちょっとした社会問題(現象)にもなりつつあ る。
もう六~七年も前のことになるが、新型コロナ肺炎の発源地として世界に悪名をとどろかせ た武漢の嘉園小区にある広場で、「広場大媽」と高層アパートの住人とのあいだに太鼓や鐘、 楽曲の音をめぐって諍いが発生した。「広場舞」が発する騒音に苛立った住人が苦情を申し 入れ、一ヵ月以上も話しあったが双方とも譲らず、これに腹を立てた住民が最初は広場めが けて硬貨や小石を投げ、最後にはとうとうみずからがひった糞便を投擲し、「広場大媽」が 糞だらけになるという事件に発展したのだ。以来、広場で大音響にあわせて踊る「広場大媽」 は「擾民」(お騒がせおばさん)とよばれるようになり、ネット上ではちょっとした話題に なったことがある。二〇一三年八月には米国ブルックリンのサンセット・パークで中国音楽 を大音響で流し、集団で踊っていた「広場大媽」が警察に通報された。リーダーは逮捕され、 現地の華字紙『美悦時尚』のインターネット版で大きく報道された。
中国国内の「広場大媽」に対する風評をのぞいてみると、ネガティブな評価はあっても、ポ ジティヴなものはほとんどない。まあ、「健身舞」はよいとしても、「絶経舞」(あがって しまったおばさんの踊り)とか「没有文化」(無教養)、「没有修養」(無修養)、「没有 追求」(人生に目的を失ったおばさん)、「没有信仰」(信仰のない女性)などの悪罵が 「広場大媽」に浴びせかけられている。「文化水平」(教養)や「修養」のある女性は、決 して「広場舞」の隊列には加わらないのだという。あるいは毛沢東時代の「秧歌隊」とか 「忠字舞」などの「文革遺風」を持ち出し、それに対するノスタルジーだとする見方もある ようだ。
米国マサチューセッツ工科大学で社会学を専攻する鄧小剛准教授によれば、中国女性が一日 のうちに発する言葉は平均二万語で、それに対して男性は少なく七千語ほどらしい。つまり、 女性は男性よりも自己表現に秀でており、その属性が中老年になってから「広場舞」に昇華 するのではないか、という仮説を立てているが、社会学者としては分析が薄っぺらで、にわ かには同意できない。 中国の都市を歩いていて感じるのは、再開発で街が肥大し、個々の建築物や施設がこれでも か、これでもかというほどに巨大化してきていることだ。けっして人が暮らす街としての適 正サイズを守っているとは言いがたい。資本の論理のままに、集客、集金能力を膨らませて いるのはたしかだろう。その結果、老人や子供は街のなかにそれぞれの居場所を見つけるこ とができずに困っている、という状況は容易に想像できる。そうした環境のなかで、交流や 娯楽の場を奪われ、男女の行為にも縁遠くなった「大媽」たちがみずからの活動の場を求め て毎夕になると広場に繰り出してくるのも「広場舞」が流行するひとつの原因ではないか、 とする観測もある。改革開放で巨大な富を手にした党=国家独裁政権が、国民に潤沢な金銭 を与え、それと引き換えに言論の自由や政治の民主化を奪っているのは事実だ。奇形的な社 会構造のなかで、おばさんたちの鬱屈した精神が「広場大媽」として全国に現象していると みることもできよう。
さあ歌いましょう、踊リましょう
数日後、北京に戻った日の午後、中国の古い友人と雑談していたら、ぜひ景山公園へ行って みろ、お前の好きなものがあるぞ、と言って、車で景山東街の東門まで送ってくれた。とに かく、公園に入っていけばすぐにわかる、と言うのだ。友人とはそこで別れ、言われるまま に景山へ向った。中腹よりもやや下にある大きな亭(チン)にさしかかった辺りで、どこか らか合唱の大きな歌い声が聞こえてくる。それもひと組やふた組ではないようだ。
ああ、ヤツの言っていたのはこれだったのか、と合点する。いちばん大きな声を張り上げて いる20人くらいの「合唱団」の近くまで寄ってみると、メンバ―のほとんどがわたくしと 同年輩の老人で、グループには指導者(指揮者)と楽士(アコーデオン、太鼓、あるいは中 国の弦楽器、笛など)が付き、指導者の指示に従って選曲し、歌っている。歌曲のほとんど はいわゆる「老歌」とよばれる革命歌曲の類で、集団は憑依したような表情で恍惚感に満ち ていて興味深い。
繰り返すが、踊る中国人を初めて見たのは二〇〇〇年ころ、長春の神武殿だった。四十人ほ どの中老年の女たちがそれぞれにお揃いの扇を持ち、音楽にあわせて日本の盆踊りのような 雰囲気で舞っていたのである。その後五~六年の間、中国の各地を訪れるたびにおなじよう な光景を目にした。張家口の人民政府前広場、銀川の中心にある人民広場、そして洛陽の王 城広場など、数えていったらキリがない。集団で歌う中国人の出現は、比較的に最近のこと ではないか。
今回、滄州、徳州、北京、延安、揚州、宝応と都市や市鎮を歩いてきて、そこが都市であれ ばあるほど、公園や広場に集団で歌い、踊っている人が多くいることに気づかされた。逆に いえば、田舎にはほとんど存在しないのである。いったい、どういうことなのだろうか。き ちんと取材してみないと、よくわからない。
滄州のきれいに整備された人民公園では、大運河から水を引いた人工池で幾人ものフナを釣 る人がいて、そのむこう側には人民を教化する革命標語がペイントされ、ラウドスピーカー からは現代風にアレンジされた革命歌曲が流れている。それに合わせて、若い男女がヒップ ホップ風のダンスに興じている。ベンチでは、子供をつれた市民たちが幸福そうにくつろぐ。 徳州の世紀広場では「秧歌隊」と大書された太鼓に合わせ、派手な衣装を身にまとった中老 年の女たちが、奇妙な踊りを踊っていた。
中共政権の存続とその統治思想、言論封殺などに抵抗しなければ、それと引き換えに少なく とも現状では人民は楽しく歌い、踊り、安逸で豊かな生活を送ることができているようなの だ。その光景を見ていて、これが習近平の提唱する「中国的特色を持つ社会主義」なのかと 思う。