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老残日誌(十) 『顧準日記』を読む

『顧準日記』を読む

深更、『顧準日記』に沈溺する。
顧準(一九一五〜一九七四)は思想家であり哲学者、経済学者、そして歴史学者でもあった。反右派闘争のさなかに右派と断罪され、一九五九年十月から翌年一月までの三ヵ月間、河南省商城県のまずしい農村で労働改造に服した。毛沢東のユートピア的な経済政策が失敗し、とくに農村の疲弊が激しく、飢え、栄養失調による浮腫(むくみ)が蔓延し、全国で何千万人もの餓死者を出したころである。そこで日々に綴ったのが、『顧準日記』の冒頭にある「商城日記」だ。顧準が送られた商城県も状況はおなじようなありさまで、近隣の農民やその家族が一人、またひとりと餓死していった。多くの医師は中共の報復を恐れ、栄養失調から引き起こされた浮腫などの本当の原因を糊塗するのが常だった。

顧准日記

中共史観による「中国現代史」では、一九五九年から一九六一年にかけての期間を「三年連続の経済困難期」としている。そして一九七八年まではその原因を「三年連続の自然災害」に帰してきた。ところが最近の中国内外における研究で、その期間には例年発生してきた災害を上まわるような深刻な事態は存在しなかったことがわかってきている。各種の研究によれば、この期間、中国経済に与えた打撃は人災によるものが「主」で、中共史観で主張されるような自然災害はあくまでも「従」であったとされる。ここで言及される「人災」とは、合作社・人民公社化運動をはじめ反「右派」闘争、大躍進政策などの誤った経済、政治政策、権力闘争などを指している。政策の失敗がもたらした農作物の減産を農民に対する高ノルマ(国家への上納)で乗り切ろうとしたため、農村を中心に深刻な食糧不足を引き起こした。三年連続の経済困難が、「七分の人災、三分の天災」といわれる所以だ。

人民公社好

中共中央党史研究室が編纂した『中国共産党歴史』第二巻によれば、食糧不足は人民生活と人口変動に深刻な影響をもたらし、穀物、油、野菜などの欠乏で人民は健康被害を受け、生命の危険に瀕した。栄養失調による浮腫や肝炎、婦人病、そして餓死が蔓延し、一九六〇年における中国の総人口は前年比一千万人前後も激減している。これを逆に見れば、この統計数字からだけでも一千万人規模の餓死者が出た(実際には、二千万人とも三千万人ともいわれる)らしいことがわかる。

顧準の「商城日記」のいたるところ、飢餓に瀕する村の惨状が記され、十二月二十二日の項には食人事案が二件発生し、そのひとつは夫がその妻を、もうひとつは叔母がその姪を喰ったことが書かれている。また、おなじ日の記述に、「医者がもしも餓死と診断するなら、その医師はまぎれもない《右派》か、あるいは《右傾機会主義者》にちがいない」と、餓死を餓死と診断できなかった当時の政治的風潮を激烈に皮肉っていて痛快だ。

人相喰

『顧準日記』には二つの序がある。一書に複数の序がある場合、「序一」は著者への賛美であり概ねお飾りであることが多い。それに対して「序二」は正真正銘の本音であり、それをリベラリストとして有名な李慎之が寄せている。

李慎之(一九二三〜二〇〇三年)は中華人民共和国の建国前、共産党員として重慶新華日報、延安新華通訊社に在籍し、建国以降は新華社国際部で活躍した。その後、周恩来の外交秘書となり、ジュネーブ会議(一九五四)やバンドン会議(一九五五)に同行する。一九五七年、「大民主」(知識分子や一般大衆に政治参加を促した「大鳴、大放、大弁論、大字報」の四つの自由を指す)に呼応して毛沢東に「右派」と名指し批判され、党籍を剥奪された。労働改造に服し、名誉が回復されたのは二十二年後の一九七九年だった。その後、鄧小平に随行して訪米している。一九八〇年から中国社会科学院に移籍し、副院長兼アメリカ研究所々長を務める。晩年は、中国におけるリベラリズムの研究と普及に没頭した。

李慎之の序二

李慎之は『顧準日記』の「序二」で語る。あの「六億神州尽舜尭」(六億の神州は尽く舜尭たれ)が放吟された日々、この国に顧準ひとりがあったわけではないが、ただ、顧準のみが断続的ながらもこのような日記を後世に残した。顧準の思想が鉛字(印刷活字)になったことで、あの時代における中国知識人の名誉が挽回されたのだ、と…。ここに見る「六億神州尽舜尭」は一九五〇年代末における毛沢東の妄想詩「送瘟神」の一節にあるので、李慎之は政治闘争と粛清に明け暮れたあの忌まわしい五〇年代を「六億神州尽舜尭」という言葉で揶揄したのだろう。

顧準が「商城日記」のなかに散りばめた記述は、たとえそれが人の生死にかかわるような凄惨な内容であっても読む者の心底を激しく揺さぶり、それと並んで、李慎之が紡ぎだしたお飾りやおべんちゃらではない実事求是の述懐もまた、まことの説得力にあふれているのだ。

顧準著、陳敏之・丁東編『顧准日記』(北京・経済日報出版社、一九九七年)

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