式根島について(二)
式根島は東京芝浦の竹芝桟橋からさるびあ丸に乗って八時間半、約百七十一キロの南方洋上にある。汽船は晩の十一時前後に出帆し、翌朝まだ暗いうちに最初の寄港地である大島の岡田港に入港した。そこから利島、新島と経由し、八時ころ式根島に到達する。さるびあ丸の船上から式根島をながめると、あたかも弁当箱を浮かべたような平べったい形状に見える。なぜ、そんな形になったのか…。
伊豆諸島は富士火山帯の激しい噴火活動によって焼き出された島嶼群で、噴出した溶岩の種類により二系列に分類される。大島、利島の半分、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、鳥島など群島の東に位置する島々は安山岩や玄武岩からなる成層火山(コニーデ)、あるいは成層火山が崩れてできたカルデラ(火山活動で生成された大きな凹地)で、富士火山帯の東南域に点在している。これに対して式根島や新島、神津島などは流紋岩からなる鐘状火山(トロイデ)で、富士火山帯の西北域に位置する。地質は黒雲母、斜長石流紋岩と火山灰の堆積などから成る。流紋岩には白色成分が多く含まれ、式根島、新島、神津島には輝くような白砂の海岸が多く展開している。流紋岩は複数の火道から溶岩流として噴出したため、島の地形は高度が平準化され、円錐形の地形とはならずに弁当箱を浮かべたような台地状を呈した。これが、式根島を扁平にした所以である。
式根島は伊豆七島(大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島)のなかの一島としては数えられず、あくまでも新島に隷属している。それはいまだ完全に証明されているわけではないが、かつては新島と地続きで、元禄十六年の房総沖大地震で発生した大津波によって新島から切り離されたと伝えられる。このため、行政的には新島本村式根島としてあくまでも新島の属島として扱われてきた。伊豆七島のなかで有人の副島を有するのは、現在では新島だけだ。かつては、八丈小島にも人が棲み、八丈島の有人副島を成していたが、人口の急減、水道施設の未整備などによる生活の不便が島民を苦しめ、一九六九年、全島の二十四世帯九十一人が八丈島などへ一斉に移住して無人島となってしまった。
面積が約三・九平方キロの式根島は周囲十二キロ(全島一周道路は約五キロ)で、標高は神津島を望む海岸に面した断崖の唐人津城が百五メートル、神引(かんびき)山が九十八・五メートルと低い。周囲をぐるりとリアス式海岸に恵まれた島には小さな入り江が散在し、独特の美麗な景観に圧倒される。白砂の浜辺を洗う清浄な海水は深いコバルト色に輝き、魚影も濃い。
写真:扁平な式根島。後ろに見えるのは神津島の天上山(新島前浜海岸から撮影)
X-E1+NOKTON 40mm 1:1.4
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