浦賀日誌(十) 東京湾、出船・入り船夕景色
東京湾、出船・入り船夕景色
一昨年の暮れに購入し、そのまま使わずに放置してあったNikon D7000とSIGMA 30mm 1:1.4 DC HSM の試写におよんだ。このカメラはおなじ4桁の普及機 3000や 5000 シリーズのいわゆる主婦写真機とは一線を画している。おそらく2桁 90シリーズの系譜を受け継ぐもので、ニコン一眼の中高級機に位置する。フィルム時代の F100や 、デジタルになってからの D700 を手にとってみれば明らかなように、ニコンの真骨頂はこの中高級機分野にあり、その性能は高級機にせまるものがある。プロが、サブ機として好んで使う所以であろう。D7000の シャッターはキレがよく、普及機で感じるチープさは微塵も感じられない。ボディの造り込みにも好感が持てる。 SIGMA 30mm 1:1.4 DC HSM は、あの名レンズ 50mm 1:1.4 DG HSM につらなる機種だが、Art になる前には初期と後期のふたつの型に別れ、描写性能は前期型が圧倒的にすぐれている。Art に至ってはまったく別物で、使う気がしない。
どこが違うかといえば、前期型は描写に泥臭さが滲み、きわめて個性的である。後期型と Art 系列は、その泥臭さと個性が現代的に捨象され、いわば優等生レンズとでもいうべきもので、面白味に欠ける。好みの問題だと思うが、わたくしのスタイルには合わない。前期と後期の両方を保有しているが、今回の試写に使ったのは、残念ながら後期型だ。面白くない。
よく晴れた昨日の夕方、自宅から歩いて十五分ほどの東京湾にむかう。途中、いつもの定点撮影場所である船守稲荷神社、東叶神社、漁港、そしてかもめ団地などでそれぞれ数葉の写真を撮る。東京湾の波を消すテトラポッド群にたどりついたとき、にわかに、東海汽船の橘丸やさるびあ丸が沖合を航行する時間であることに気づいた。遠くに目を凝らすと、館山方面から黄色い船体に緑色のラインがハデな橘丸がやってくるのがかすかに見える。白と群青色が優美な海の貴婦人、さるびあ丸はどこを走っているのか。残念ながら見つけることができなかった。船も人も、内面が美しく、知性を備えている個性は、いたずらに自己を主張したり、人前にしゃしゃり出たりするのを好まない。
橘丸は、前夜、竹芝桟橋を出港し、翌朝まだ暗いうちに三宅島に達し、そこから御蔵島を経て八丈島で荷役をすませると、すぐにまたおなじ島を伝って東京まで戻ってくる。三宅島の「三」と八丈島の「八」をあわせ、「三八航路」と愛称されている。さるびあ丸は、やはり竹芝からまず大島へ向かい、利島、新島、式根島と延航し、最後に神津島まで来ると、また、もと来た島へ引き返して晩の八時前に竹芝桟橋までもどってくるのだ。これは、「片の島航路」と呼ばれる。伊豆七島の軸線が東京、大島、三宅島、御蔵島、八丈島とまっすぐ南にむかって伸びているとすれば、利島、新島、式根島、神津島はやや東方向に片寄っているので、このように称されるのだろう。
この片寄りは、島民にとっては思いのほか深刻である。たとえば三宅島とすぐ隣の神津島は海路でわずか二十キロしか離れていないのに、「三八航路」」と「片の島航路」は永遠に交わらないので、両島の人たちがそれぞれの島を訪れるためには、東京まで行って船を乗り換える必要があるのだ。
東京湾の航路は、三浦半島側を出船が走り、房総半島に近い沿岸を入り船が航行する。浦賀から見ると、東京湾を奥深くに向かう入り船の姿は遠く、豆つぶほどにしか見えない。
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Nikon D7000+SIGMA 30mm 1:1.4 DC HSM
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