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けんすうvs落合陽一で行われている「ひろゆき」のキャンセル。炎上の真実

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Xにおいて半年〜1年に一度レベルの思想的レスバトルが起きたので、何が起きてるか少し解説しようと思う。

その前に、魚拓ではないが、話の理解に必要な落合陽一氏とけんすう氏のレスバをコピペしたのでご覧いただきたい。

もちろんレスバ自体はもっと長いし、現時点(2024/08/28 21:18なう)においてまだ終わっていないので、重要な部分を抜粋した。


落合陽一氏

この点,シェアした対象が「悪口による炎上の集金構造」を持つ場合は「「特定のコンテンツをシェアをしたら、出演者のうちの1人が今やっている、他の行動に加担していると見なされ、社会的な責任が生じる」」と考えます.そういう食い扶持に加担するからです.私はそれをシェアする方々にも社会的責任が生じると考えます.そういった集金構造に関与することをなくすのが誹謗中傷のない世界だと思っています.

けんすう氏

これは、もう「どこまでを責任範囲とするか?」の違いだと思うんですが、僕は少なくても

「コンテンツをシェアしたときに、そのコンテンツの中身ではないものについて、認知していないものは責任を負わない」の立ち場です。

というのも、それを言い出すと、責任の範囲が無限に広がるからです。なので、責任の範囲はある程度限定的にしないといけないかなあ、と。

イメージで言うとこんな感じです。


コンテンツの中身に関しては、中身をちゃんと認知していれば、それをシェアすることには責任が生じると思います。

また、コンテンツの中身についてよく知らないでシェアをする(たとえば読まない、ちゃんと見ていない)場合も、やや責任はあるかなと思います。

「その人がコンテンツの内容の外で、よくないことをやっていて、それを知っているけどシェアした場合」はグレーゾーンです。というのも「シェアをすることで、その非道な行為に加担してやろう」というのであれば責任は生じますが、「コンテンツと行為を切り分けて考える」ケースもあるはずです。

たとえば「過去のことだったら切り分ける」などの時間軸や、コンテンツとの関連性との近さ、遠さなども影響するからです。さすがに、50歳の人のレストランレビューをシェアしたら「でもあいつは4歳のときに、わざと店の食器を割ったぜ」というのでは責任を負わないと思いますし、一方で、いい投稿が1割で、残りの9割が貶めるような誹謗中傷だとしたら、さすがに責任は負う可能性はあるかなと。

このあたりの責任の有無はグラデーションですし、明確な線引きも難しいと思います。要はケースバイケースになると思います。

で、「コンテンツの範囲外のこと」であり「それを認知していないケース」の場合は、責任はないというのが自分が思うところです。これは今回、自分がここだから責任がないといいたいわけではなくて(本当に!)、

それを言い出すと、コンテンツをシェアするときなどに、常に大きな責任がつきまとい続けるので、現実的に、現代の生活習慣と合わないだろうと思っています。これは、社会におけるデメリットが大きすぎるだろうと思っています!

落合陽一氏

けんすうさんの立場は、現在のSNSに蔓延る状態で、多くの人にとって受け入れやすい既存の保守的考え方だと思います。しかし、私はこれでは問題が解決しないと感じています。なぜなら、この方法では冷笑や無関心が続き、結果として悪質なコンテンツが見逃され、社会的な悪影響が広がってしまうからです。

私は、この冷笑と無関心がもたらす問題を解決するために、実際に実験や行動を起こし社会全体に変化が生じる必要があると考えています。私は冷笑や無関心が減ることで、誹謗中傷のない社会を実現しようとしています。

とchatgpt .  私はそのコンテンツについて知り得たあとは対応を変えるべきだとは思っています。


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