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【ギュ後2】東京について。大都市から逃避する事の重要性

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歴史を俯瞰すると、都市の盛衰は文明の進展とともに繰り返されてきた。


ローマが滅びたように、江戸が東京となったように、都市はその役割を終えれば別の姿へと変貌する。


シンギュラリティ即ち人工知能が人間の知性を超越した後の世界(ギュ後)において、東京はどのような都市として存続するのか。


「ギュ後」という言葉は下記の記事を参考にした。



シンギュラリティという言葉は出てきて随分経つわけだが、確かに「ギュ後」の方が口にしやすく、同時にシンギュラリティを文系的に解釈する際に最適な言葉に感じる。





東京の終焉


ギュ後の日本では、霞ヶ関を中心とした行政機能が維持不可能となる可能性が高い。


行政機能はすでにAIによる自動化が進んでいるが、それを管理する人間が不要となれば、制度自体が無意味となる。


パスポートや運転免許といった従来の身分証明制度も形骸化し、国家という枠組みが機能しなくなっていく。


このような状況下で、物流・金融・エネルギーといった社会基盤の維持が困難になれば、都市生活の利便性は急速に失われる。


特に、東京のような一極集中型の都市は、その脆弱性を露呈することになるだろう。例えば、公共交通機関は機能停止に陥る可能性が高い。


電車は検閲ポイントを伴う通行許可制となり、東京メトロは無料化するものの、区間ごとに高額な通行料を課されるといった状況が想定される。


一方で、新たな都市秩序は旧来の国家とは異なる形態をとる。


GAFAをはじめとしたテクノロジー企業が都市の実質的な統治者となり、それぞれの支配領域が誕生する。


Google国家、Amazon国家、Facebook国家等がAIによる社会システムを最適化することで、都市機能の一部を維持するかもしれない。


しかし、こうした企業国家は利益追求を第一とするため、旧来の公共サービスはほぼ完全に消滅する。



物流戦争が起こる


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