ベーシックインカムを導入しないと日本はおかしくなる
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日本の社会保障政策において、所得制限が設けられるケースは多い。しかし、この仕組みが生む矛盾や不公平さについては、改めて検討が必要である。
資産40億円のニートを自称する人が、貧困世帯向けの10万円給付金を受け取ったという実例は、その問題の一端を如実に示している。
このような制度設計の背景には、支援の対象を絞ることで限られた財源を効率的に使うという意図がある。しかし、所得だけを基準とした場合、働いていない富裕層や高齢者が恩恵を受ける一方で、生活が苦しい勤労者が対象外となる状況が生じる。
実際、資産40億円を保有する世帯が給付金を受け取る一方で、生活費を捻出するのに精一杯の低所得勤労世帯が何も得られないのは明らかに不合理だ。
この不平等を是正するためには、所得だけでなく資産も把握し、公平な支援を行う仕組みが求められる。
しかし、資産の把握には多大なコストと時間がかかる現実があり、短期的な解決策としては難しい。そこで提案されるのが、国民全員に一律で同額を支給する「ベーシックインカム」の方式である。
全員に支給すれば、所得や資産の確認という手間が省けるだけでなく、支給対象を巡る不公平感も減少する。また、高所得者や資産家が受け取った支援金を自主的に寄付や消費に回すことで、経済全体への波及効果も期待できる。
もちろん、このアプローチにも課題はある。一律支給は財政負担が大きく、長期的な持続可能性に疑問が残る。そのため、財源の確保や支給額の適正化については慎重な議論が必要だ。
それでも、現行の所得制限付き給付が生む不公平さを是正するためには、一律支給という選択肢は検討に値する。
さらに、支援金を受け取った人がその一部や全額を児童養護施設などに寄付するという行動は、社会の連帯感を高めるうえで重要だ。このような善意の循環が広がることで、単なる「ばらまき」ではなく、社会全体の幸福度を底上げする支援へとつながるだろう。
結局のところ、社会保障政策における本質的な目的は、困窮する人々を支えることである。人は生きているだけで価値がある。所得制限により生じる矛盾や不平等を見直し、全ての国民が公平に恩恵を受けられる仕組みを構築することが、今後の日本に求められる課題ではないだろうか。