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2-3|家族は日本国に支配されない10年後の未来を「日本進化論」より【落合陽一を批判的に読む】

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今年の6月1日に出版された『落合陽一を批判的に読む』の反響がそれなりにありまして、YouTube,noteのアカウントBAN記念に全文を無料で公開します。21世紀中盤の未来を予測したい方におすすめな、最新の評論が詰まった一冊です。








落合陽一は低学歴だ

こんにちはダニエルです。おはざーす。今日は、落合陽一のこちらの本『日本進化論』をまたレビューしていこうと思うんですけど、レビューっていうか論破っていうか、批評っていうかレビューしていこうと思うんですけど、早速いきますね。

そもそも落合陽一さんは低学歴です。この人筑波大学なんで全然そんな、あの東京大学でもないです。東京大学に行けなかったという学歴コンプレックスあります。確かにその後の実績はめっちゃすごい。大学院行った後とか、あと今経営者としてもとか、大学教授として活躍されてるので。めっちゃすごいんですけど、まぁ所詮は筑波大学だから。低学歴だから。

彼の言ってることで間違った事もあるわけですよ。そういうのをまぁ一つ一つ指摘していくっていうのがこの企画になっております。それではよろしくお願いします。

前回、前々回で序章・第一章・第二章を読みました。『日本進化論』2018年の本です。小泉進次郎との対談を元にできてる本で、序章ではテクノロジーの歴史みたいなものさらっと解説。第一章では、産業…あらゆる産業における限界費用ゼロ化って言う問題がでかかったですね。産業構造テクノロジーがいかに変えるののかって言う事についてですね。ついでにインフラ撤退の必要性があるよって言うことを提示するって言う内容でしたね。もちろんこれ、古い本だから間違っていることもいっぱいある。一方この本が出版された後にコロナウイルスでそのライフスタイルがすごい日本中変わったじゃないですか世界中。ああいうのは予言されてたりとか、もちろん良い本、良いこと言ってるような人、だから落合さんて有名ですね。

僕は、この人は全部嘘言ってるから聞くなよって言ってるわけじゃなくて、30分くらいかけて動画撮るわけじゃないですか。この人の事はすごい頭良い人だと思った上で喋ってますから、そこんとこちょっと履き違えないように。誰かどっかの誰かさんみたいに、あの東浩紀さん働きましょうとか連呼してるだけのバカじゃないんでよろしくお願いします。

ちなみに僕の落合陽一に対する批判はあるんですよ。この動画もその前の動画もこの内容を論破するっていう内容なんですけど、この人に対する批判は、このチャンネルのT-T lifestyleチャンネルの一番最初の動画であるんでそっちを観てみてください。要は、国の金で働いてるってことですよ。研究費がやっぱり難しいじゃないですか。研究費とかが日本から出てるっていうのはね。そもそも本当はこの人はシリコンバレーでグローバルにメディアアーティストするべきだよね。アメリカのカリフォルニアで活動した成果だけを日本でひけらかすべきであるというのが僕の意見ですね。

 

殺風景なテクノロジー

さて本題に入りましょう。第一章、産業がテクノロジーによってどう変化するかって話で、第二章が高齢化問題がテクノロジーを用いて解決されるんじゃないか。働き方も変わりますよね、みたいなことが書かれていました。高齢者だけじゃなくて人々の働き方自体も大きく変更されますよね。それが第二章でした。次、第三章、今回のメインにするのは第三章です。第三章は、読みますね。

「初めに第三章では、児童虐待や見えない貧困などの問題を根本から解決するために育児責任を親に押し付けず、社会全体で支援を進めるための課題について考えていきます。

またこのような状況を引き起こした要因として核家族化フォーカスしたコミュニティー整備の必要性について検討していきます」ここまで読んだ時点で、大体素薄っぺらいことを書いてあるんだろうと思う。

つまり、ワタミの宅食が出る老人ホームを実装していきましょうという話です。もちろんそれはそれで良いことあるんですけど、なんかすごい簡素な託児所みたいなね。冷たい託児所っていうか、ショッピングモールについてることが多いです。託児所って結構大変ですよね。厳しいよね。とにかくカラフルだけどだけど何もないみたいな。なんかそういうのが託児所じゃないですか。おそらくこの章ではそういう殺風景なテクノロジーが解説されると予想できます。

 

トップダウンのコミュニティ整備という矛盾

落合陽一の発言にはバイアスがあります。都市の視点。第三章で述べられている「コミュニティ整備」ですが、まだ読んでないですが、ここで展開される議論における問題点をあらかじめ予想します。

この本で述べられているコミュニティー整備の議論では、おそらく日本っていう「国」を前提にしていると思われます。日本、別になんでもいいんですけど、アメリカでも朝鮮でも。なんでもいいんですけど、近代国家を前提とした、中央集権により統治された近代国家の中での話でしかないという限界です。

中央集権体制的でない社会システムとして、例えば封建主義は許されないです。中央集権的な村とか市とか街とか、そういう視点でしか語られていないっていうのがありますね。証拠として問題のある議論だなって思うのは、例えば、友達とか、そういうものに対する言及が無いんじゃないかと思うんですよね。友達とかある意味で言うと僕も属しているもので言うと大学や高校までOB会とか、そういう組織とか、そういう視点がないんじゃないなと思いますね。つまり、住所だけの話になっちゃってるって言うか。極端な話、多分、戸籍に載らない子供は、もう本当に全く省かれるって言う話になっちゃうと思いますよ。

しかしながら、本当のコミュニティーは戸籍に載らない人も包含しなければ議論にならないです。初見では信じられないような価値観揺さぶっていくような発言になっちゃうんですけど、戸籍に載っているか載ってないかって、そもそも明治時代以降の話です。その前は藩籍なわけですよ。戸籍っていう、日本の戸籍に載っているかどうかが重要なのって明治時代以降ですね。だから近代国家とセットなんですよ。だからその藩籍、藩籍って言うのかな?わかんないけど、家という江戸時代のシステムを大名が所有していたんですよね。

江戸時代にはそもそも戸籍登録してもしょうがなかったのでしょう。元服しないで死んじゃう子供がいっぱいいましたからね。だから20歳位以上で普通に登録すれば良かったんですけど、多分。

トップダウンのコミュニティ整備という詭弁では家制度みたいな話が全く出てこないっていうか、というのが、ちょっとおかしいところで、コミュニティー整備って言うけど、多分これ親戚付き合いも含まれてないし、話のそもそもの土台に出てないって言うのがおかしいことなんじゃないかって。実際には親戚付き合いとかめっちゃあるわけですよ。

これもどっかのバカが言ってましたけど、親戚付き合いにお金がかかりますよね。結婚式で5万円取られるのうざいけど、払っておいた方が後々得するから払っておこうとかそういう話ですよね。本当に馬鹿なんじゃないのかって。呆れてるんですけどね。

 

子育て問題と戸籍登録

日本が戸籍によって管理している範囲のコミュニティーの議論しかしないんで、日本が管理してない範囲のコミュニティーについては全く議論されない。例えば、移民ですよ。移民がいていいじゃないですか、一応ね。現にいるじゃないですかビザで。移民が、落合陽一の構想するコミュニティーに入らないんですよ、つまり。移民がコミュニティーに入らないことによって多分、すごい問題あると思ってて、なんだろうなぁいやちょっと難しいけど難しいですけど、社会全体でね、支援を進めるための課題ですよね。移民が入ってこないんで、これギリギリの緊張感でやってるんで、今回これ論破できなかったら大変なことになってくるんで、て感じで読んでいきましょうか。

ちょっとこれは難しいね。僕にとってはちょっと。「孤立化した子育てから脱却するために」第三章ね。「新しい信頼関係に基づくコミュニティーで子育て環境を解決する」綺麗事ばっか言ってるわけですよ。「若年層の子育てしづらさどこから生まれるのか。新しい信頼関係に基づいた子育て支援。高齢者勤労世代を支えるこれからの子育て・コミュニティー。未就学児のコストをどう見積もるか」

なるほどね、いやー難しいなこりゃ。全部読みますよ、わけわかんないんで難しいんで。ちょっと関心がない、こういう話。僕もコミュニティーに関してはめちゃくちゃ重要だと思うし、もし家族とか、家族の問題ってめちゃくちゃ重要になってくる。そういうふうにちゃんと考えてるんで。ここは『日本進化論』を考える上では避けては通れない場所だと思います。しかし難しいよね、だって綺麗事しか言ってないよね。だから子育ては大変ですねって話から始まってるよね。

社会全体で支援するためにどうすれば良いのか考えていきましょうって書いてあるんだけど、前提が間違ってるんだよね。社会全体でって言った時に「世界の中に虫は入っていない。世界の中に花は入っていない」ってセカオワ歌ってますけど、世界の中に移民も入ってないだろうし、いや入ってるのかもしれないけど、本質的に言えば、日本と言う枠組みを超えて、動物も入るかもしれないけど、日本て枠組みを超えて世界中の人類の就学支援も行わないといけないとか、そういう話になっちゃうね。本当はね。ただ、東京一極集中の話をしてるって言うのがちょっと皆さん頭に置いて話聞いてくださいね。

 

論破失敗

子育てはアノミーになってしまってるらしいですね。続いて新しい信頼関係…きた!あーキッズラインの話はじまった、なるほど。口コミ評価ですよ、口コミ評価でベビーシッターを評価しましょうってことだよね。

でも考えてみてくださいよ。極論、キッズラインの恐ろしいのは、赤ちゃんのデータ抜かれることですよ。普通に口コミでバットがつかないようなベビーシッターは、僕は逆に恐ろしいんじゃないかとか思ってますけど。それこそ成田悠輔『22世紀の民主主義』的なミスリーティングというか、落合さん読んでますかね?

口コミ評価じゃ測れないんですよ全部は。ある程度はできますよ?この信頼するっていうのはもちろん制限付きですよね。Uber EatsとかAirbnbとかこういうテクノロジーは現実の問題を解決する糸口になるかもしれませんって書かれてます。

まだ明確に論破に至ってないんですよね。だから読んでいきますよね。高齢者が子育てコミュニティーを作ったらいいんじゃないか。ベビーシッティングすればいいんじゃないかってことが書かれていました。なるほどね、そういうことが重要になるかもしれませんってことね。

次に就学時のポスト。未就学児が、学校があると半分は、起きてる時間の半分は学校にいるんで大丈夫なんですけど、学校がないときついよねみたいな。待機児童とかは結構きついし親も働けないよねみたいな話が出てくるね。

僕は本読めないけど、このやり方なら本読めるんですよ。もちろん厳密に喋るときはちゃんと厳密に読まないといけないけれど、大半は縦読みなので得意です。あ、終わっちゃった。なるほど、だから要は主張がなかったんですよね。論破のしようがなかったですね、申し訳ないけど後からわかりました。主張がなかったね、なるほど。

ちょっとこれは悲しいな。悲しいわ。でもこういう文章を載させたこと自体がだめなんしゃないですか。ちょっとなんかこれ論破できなかったんで、論破失敗です。申し訳ございません。申し訳ございませんというか、まぁ期待してくれた方には申し訳ございません。でもそもそも主張がないんで。何か論破しようがなかったっていう。

 

Google税

落合陽一の議論の問題点に関して、列挙していこうと思いますね。まずね、最後の方でめっちゃおかしいなと思ったのは、学校が前提になってるのすごくおかしいですね。落合陽一の話って全部明治時代以降の話なんですよ。今後10年20年後にその日本の政治体制とかって大転換を切ると思います。そもそも日本って税金取れなくなってきてるんですよ。

インターネットインフラっていう考え方があるじゃないですか。落合陽一さんとかは、特にそういう考え方を支持されてると思うんですけど、例えばYouTubeとかも含めて、より厳密に言うならサーバーをインフラと捉えるならばって話なんですけど、Googleとか世界中にサーバー置いてるからYouTubeとか運営できるわけですね。そういう考え方に則ると、インフラって税金で運営されるじゃないですか、基本的に。

電気ガス水道とか道路とかってどうでしたっけ。道路とかはそうじゃないですか。電気とかは東京電力だけど、でかい部分は税金なんですかね。ちょっとわかんないけど、多分そうなんじゃないですかね。何が言いたいかって言うと、みんなスマートフォン大好きじゃないですか。これでアクセスするインターネット上の空間のインフラは誰が作ってるんですか。ほとんどがAmazonとGoogleですよ。今のところね。

それって結構マジでやばいことで、アマゾンとGoogleとかガーファとか、ガーファでいいよ、税金を徴収する権利があるんですよ。それにApple Storeも入れた方が良かったかな。ガーファはインフラを提供する対価として、国の税金じゃないけど、税金的なものを取るっている権利があるんですね。税金とはそもそもがそういうものなんですね。社会の構造っていうものがドラスティックに変わり始めてて、我々はそこから逃げられませんから。だから僕は既に日本はないと思ってるんですよ。

特に、僕みたいにテレビ見ない人とか結構いて、そういう人にとってはほんとに日本もうないと思ってて、行き着く先はですね、10年20年のうちに政治体制が変わっちゃうんじゃないか。当たり前で、税金の取り方が変わるんですから。普通に僕が払いたいなと思う税金は、ギリギリ医療保険も割とシンプルでいいけど入りたい。あとは道路とか維持するような税金を払いたい。あとゴミとかも払いたい。でもその次ぐらいにそのやっぱインターネットについて税金払いたいって出てきますよやっぱり。使いたいもんYouTubeとか。普通にネットから情報を取れないとGoogle に月数千円でも入れますよ全然。現に払ってるし、Google driveのストレージに月250円支払ってますし、そういう感じなんですよ、是非払いたいくらいのものなんですよ。検索させていただけるならばね。

 

日本に払う税金が多すぎる

既に多くの人は広告の閲覧という形でYouTubeにもお金や時間を払っています。これは今までなかったことです。海外のプラットフォームに税金取られるっていうのは割となかったことです。これは普通に今まで結構これ新しいです。落合さんも言ってることだと思います。それ以外の日本の税金もあるのですが、比重が変わるっていう話です。

今まではクラッシックな日本の税金が100%だったんですけど、現在僕の体感で言うと7:3とか8:2になってるんじゃないかな。2割位、2割か3割くらいはもう既にガーファに持っていかれてるんじゃないかな。僕とか特にYouTubeとかよく観てますから、その買い物とかもネットだったらAmazonでしか買わないし。だからそういう感じで結構ネットに頼りきりになってるんで。あとそれこそキッズラインの話したじゃないですか。キッズライン、Uber Eats、Airbnbの話したじゃないですか。つまりですよ、もうインターネットは、キッズラインはギリギリ日本の会社だけど、もうほとんどシステム的には海外のものと考えていいと僕は思うんですけど、違うなら違うって言って欲しいんですけど、まぁそういうことなんですね。

そういうのは、下部構造が上部構造を規定するっていうのを本当にわかってないんだよね、コイツは。本当にわかってないから、バカなんだよね。落合陽一は頭はいいんだけど、そういうちょっと本当にはわかってないんだよねって言う部分が結構目立っちゃうんでしょうね。つまり言いたい事は、日本は10年20年続きませんよ。だって税金の仕組みが脆弱だから。だからもう全然払わなくていいんですよ金も。僕はもう国に払っている税金の4分の1から3分の1位は普通にGoogleとかに払っちゃっていいんじゃなと思ってるんですよ普通に。

あのもう何もしてなくてもですよ、もちろん税金と言う形でお金が取られるの嫌だけど、日本という国ばかり取られるのはもっと嫌だから、それだったら僕はGoogle広告にお金を払ってそのインフラ利用代としてとか、貢ぎますよって言う。そうじゃないとバランスがおかしいから。日本にそんなに払う必要ないんです税金は、ていう問題があるんですよ。

 

AIと対立する政策

これと向き合うと、もう学校が云々とか言ってられないんですよ。学校があるから未就学児は大変だね、とかそういうことって言ってられなくて、ゆたぼんの問題は古いんですよ。全員が学校に行く前提とかがおかしい。同様に高齢者が全員定年退職してる前提でいるのもおかしいです。

高齢者が働く世代をベビーシッティングで支えようみたいなそういう話書いてあったんですけど、高齢者、ここまず矛盾してて、これ論破かもしれない。キッズラインとかを褒めてる一方で、高齢者が子育て、ベビーシッティングやる仕組みを考えようみたいなこと言って、これどっちやねん。

高齢者で星の低い人と高齢者じゃなくて星の高い人はどちらが優先されるのでしょうか。落合陽一がブレインになってる日本政府は、「高齢者、あなたがベビーシッティンしなさい、この家にね」、って言うんですけど、一方でアルゴリズムは、ベビーシッティングは高齢者は自分でうんこもできないくらいだからできるわけない。そういうので点数下げちゃうんですよ。そういうのが撞着してしまって、それを考えるのがこの落合陽一の本の役目だったりするはずなのに、そういうのを怠ってますよね。だから普通にどっちもあるよねじゃないんですよ。

落合陽一ほかにもこういうこと言うんだけど、アルゴリズムが新しい信頼関係で家族を作ります、つまりAirbnbでつながった家族みたいなものもあるよねっていうのは確かにありますよ。一方で高齢者は結構都合よく子育てができるんじゃないか。つまり江戸時代以前はそう、未亡人が男の子の筆おろしをしたって話もあるし、村コミュニティーみたいなものを想像して話していますけど、これ落合陽一はどっちもいいとこどりっていうか八方美人ていうか、どっちも立てていて、結局どっちがいいかを議論する気がないんですよ。

口コミサービスのアルゴリズムと高齢者というリソースの最適化は重大な問題です。人間リソースの最適化と、AIの評価のどっちを優先するかというところに問題の本質があります。つまりキッズラインの問題点は、キッズライン登録してない人がめちゃくちゃいっぱいいる事なんです。

もしキッズラインに全員が登録して全員が同じようなモチベーションにキッズラインでやるんだったら、星の評価って意味あるんですけど、食べログだって見てみたら値段の高低と星の上下って何か関係してるじゃないですか。そもそも食べログの星って昔からすごくおかしいと思ってて、だってあれ値段高い方が普通に星上がるじゃないですか。結局安くてコスパの良いみたいなラーメンと、手をかけてて高いんだけど、みたいなラーメンをユーザーの星で評価するのは不可能です。食材の原価を上げれば食べログの星が上がります。

 

食べログパラドックス

より厳密に言うと、食べログ評価とは別の次元に価格競争が存在します。アダムスミスの言うような「神の見えざる手」で決定されるものが2つあるんですよ。価格が経済によって、人々の無意識によって、食べログで星なんか表示しなくて良くて、星はその同価格の中で、厳しく同価格の中で決めていくべきだと思うし、当たり前ですけど、焼肉屋とラーメン屋で星の数は比べられないし、居酒屋とか顕著ですよね。居酒屋で星3.1以上とか全然見たことないっすけどね。そういう問題ですよね。レビューが多いか少ないかも大事。ラーメン屋はレビューとかつきやすいからね。そういう因子が色々ある中で、需要と供給で決まるのが価格と星っていう、この2つがあるんですよ。食べログの星の数って単純なレビューじゃなくて、どちらかというと価格に近い概念なんですよ。

星が高いと行きづらくなるしみたいな、星が低いと…逆なのかな。星が高いと行きやすくなって、星が低いと行きにくくなるって方か。もちろん格式高くて入り辛いはみたいなのがあるかもしれないですけど、基本的に星高い方が行きやすいですよね。価格って逆じゃないですか。高ければ行きづらくて、低ければ行きやすい。食べログの星は高いと行きやすくて、低いと行き辛い。これって凄いおかしいんですよ、絶対。

食べログの星と料理の価格を両方見ないといけない理由があって、どっちかだけを見てこの店いい店だって判断するのはめちゃくちゃ危険な事なんですよ。そんなことしていい店が選べるはずがないんですよ。

食べログの星と価格が両方高い店は例えば高級寿司屋とか、ラーメンで言うと麺屋一燈とか富田製麺とか、普通にお洒落なバーとかです。両方低いのもわかりやすいじゃないですか。磯丸水産とか、ラーメンで言ったら壱角家とかすごい安いチェーンですよね。

チェーン店て多分食べログめっちゃ弱いですよね。チェーン店て安くもないですよね。信頼で売ってるんだね。ただ、食べログの星は全然つきにくいんですよね。サイゼリヤで食べログの星なんて誰も調べないじゃないですか。だから、食べログの星には、信頼っていうのが入ってないんですね。信頼スコアが実は評価に入ってないんですよ。信頼されすぎちゃうと食べログのそもそもレビューがつかないから、星が上がんないですよね。生存バイアスによる現象を食べログパラドックスと呼びましょう。

 

チェーン店が不利な食べログの星

サイゼリアって普通に星高くても良くないですか。とか思っちゃうの僕だけかもしれないけど、ほんとにこの『日本進化論』マジでそういう問題なんですよ。キッズラインが信頼できるかみたいなところが1番盛り上がっちゃいますよね。「新しい信頼関係に基づいた子育て支援」、見ず知らずの他人同士がいきなり「信頼関係を結んでね!」って言われても難しいんですよ。機械で、AIで信頼されてるって言われてるから信頼してね、はいどうぞは難しいんですよ。キッズラインだって何回か使ってみないとほんとに信頼できないです。

事件とかも起こったじゃないですか。怖いじゃないですか。子供を急に窓から落っことされたりしたら大変なわけですよね。今日がその日かもしれませんよね。だって今まで1回も窓から子供落っことしてなかったけど、今日がその日かもしれませんもんね。めっちゃ怖いよね。

キッズラインて、そもそもめっちゃ怖いこと前提なんですよ。Airbnbとかも。結構盗聴してるとかありそうな話じゃないですか。まじでめっちゃ怖いってことを前提に、それでも信頼するっていうのが、人間がこれまでやってきたノウハウで、例えばその昔は結婚する人も自由ではなかったわけですね。全く知らない人とかだと、責任がないから性病うつされたりとか何かそういうことで一家が破壊されるとかそういうリスクを避けるために、ちゃんと親がお見合いをセッティングしたりとか、昔はしてたわけですね。そういう人類の知恵の部分とかが落合陽一の議論からは抜け落ちています。もちろん知恵を軽視してテクノロジー凄いよね、これはいいんですけど、あまりにも知恵の部分を軽視してるっていうか、前回話した内容に通じるけど、デジタルネイチャーとは言えすべてを1からプログラムできるわけでは無いんですよね。東洋思想を軽視していると思います。

 

社会問題は思わぬ方法で解決される

プログラムは1から出来るんだけど理論上は。理論上はできるんですけど、結局は出来たプログラムを使う側の視点が必要っていうか、自然淘汰的なね。プログラム一回書いたらなかなか消せないじゃないですか。その自然淘汰的な…これ僕、東洋思想だと思ってるんですけど、東洋的な自然淘汰的な発想でデザインしてくっていう。とにかく当たらなくてもいいんですよ。適当にいっぱいやっちゃえばいいんですよ。

だから完璧な社会を作ろうと思う必要はなくて、色々な社会を作って、そこでこれいいんじゃない?みたいなのを拡張すればいいんですよ。と言う話を考えないといけないので、子供の子育て支援がテクノロジーで進化するだろうみたいなのは本当に的外れだと思います。

子育ての支援問題はひょんな所からソリューションが現れて解決します。例えば、最近ペットってめっちゃ育てやすいんですよ。ペットってうんことかするじゃないですか。ああいうのの機械がすごい進化してて、自動でくそ取り替えてくれるみたいな、そういうのとかあるんですね。ペットって飼いやすいんですよ昔に比べて。

人間の子供をペットショップが飼育すればいいと思います。この方法で全然解決する可能性があって、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、ペットのゲージみたいなのを家に用意して、IOTで管理すれば全くベビーシッター不要かもしれない。だからベビーシッターがいるって考えてる方がおかしくて、落合陽一の議論は不毛であったという結論になります。

他にも、これは恐ろしいディストピアの話だけど、マジで恐ろしい話だからほんとに一瞬で流すけど、子供ができなくなることによって解決するっていうのはありますよね。みんな子供つくれなくなるから、それで解決するっていうね。そもそも、そういう問題自体がないじゃないか、子供は物好きだけが育てればいいじゃないかとか、そういうこともあります。クローン作ってインビトロに無性生殖。

あとは子供が学校に通わなくて良くなるんで、そうすると全然親がみる必要もないじゃないですか。普通におじいちゃん家で育てればいいじゃないですか、ずっと。永遠に。それでいいじゃないですか。学校行かなくていいんだから。おじいちゃん家でずっと育てればいいじゃないですか。オンライン授業で変わる社会。

前提として、疑うべきものを疑ってないというのは結構問題です。AIを盲信してしまう宗教的な熱狂を昨今生んでいるのが落合陽一で、この本の今回はそういう問題でした。

 

 

じゃぁ今日のまとめますね。落合陽一の『日本進化論』第三章、子育ての問題とかその事情問題とかが、テクノロジーによって解決するんじゃないか。例えば、キッズラインとかそういうのはすごいぞとか、そういうこと言ってるんですね。後は核家族が問題なので、高齢者がベビーシッティングする仕組みを作ったりとか、コミュニティーを新しく作っていくみたいな対策が重要なんじゃないかって話ですけど、そもそも、日本にいるだけ、日本国民てたまたま似たような場所に生まれただけじゃないですか。だから前提として、社会を組んでるのはすごい異常なことなんですね。なのに、それを当たり前のように子供は学校に行くものだとか、子供…未就学児にはベビーシッターがつくべきだとか、子供は生まれるべきだとか、高齢者はベビーシッティングにおける評価も高いだろうとか、決めつけている論調がおかしいです。

人間は、世代を経ることに全然変わっていく生き物なんで、息子のメソッドで教育しちゃうと孫の教育には良くないという可能性もあります。すなわち、高齢者にベビーシッティングを任せると、極論、子供に誤った教育を施すことになる可能性が示唆されます。これが本当なら大問題で、落合陽一が提案した国策により国が滅ぶことになりかねません。

そういう、色々なことをすごい近代的な価値観を前提として、FIXされたもの、近代的価値観に囚われている、そういう議論の進め方だったんで。そもそも何一つ主張が出てこなかったんで、こうなるのではないか?予想みたいなものしか出てこなかったけど、これは議論自体がかなりイカレてるっていうか、レベルの低いものだったと言うことが分りました。

まあなのでこの辺で終わりにしようと思います。ありがとうございました。

 



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