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世間への「ものごころ」がついて、記憶にある空白の多い「絵」

「もったいないことをした」
今さらながらなのですが、購読していた「文芸春秋」を、何度かの引っ越しの時に処分したことが悔やまれます。

1974年11月号です。古いから当然でしょうね。
立花隆さん「田中角栄研究―その金脈と人脈」
児玉隆也さん「淋しき越山会の女王」
この記事がきっかけで、ときの田中内閣が総辞職しました。たった2ケ月後のことです。

その立花隆さんが80歳で亡くなったとの報。1940年生まれといいますから、34歳、新進のジャーナリストが描いた渾身の記事です。

9月の前期試験がさんざんな結果に終わり、このままじゃアブナイ、少しは気を入れ直して大学に通いはじめたときです。そのころの記事と世間を騒がせた事件ですから鮮明に記憶に残り、自分の時間との整合性もとれます。

ところが、キーとなった文春の記事、読んだはずなのに内容を思い出せないのです。記憶に「絵」が残ってない。「これは大変なことになる」というインパクトを感じなかったのでしょうね。アンテナが低かった。

図書館に行って、バックナンバーを借りて読み直そうと思っています。

先にnoteに書きましたが、世間との「ものごころ」がついたのは16歳のころ。以来、節目のときの「絵」は思い出せますが、ほとんどのものは額縁が狭く、空白の部分も多い。ジグソーパズルのようにそれを埋めるのが楽しみのひとつになりました。その「絵」を再度見て同時代を振り返る、トシヨリですね。

「忘却とは忘れ去ることなり」
都合のわるいマイナスのことや、どうでもよいことが記憶に残り、よかったこと、肝心なことは忘れてしまってます。
でも、忘れることができること幸せなことです。負け惜しみですが。

ご参考:
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」(菊田一夫「君の名は」)