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ふつうの水、が美味い
水道水を直接飲まなくなって久しい。
天然水ペットボトルが出始めてからだから、20年近くなるだろうか。
孫の顔を見に、田舎に住む岳父が埼玉の社宅にやってきた時だった。彼はウイスキーの水割りを作ろうとして、コップに水道の蛇口から水を注ぎ、ひと口飲んだとたん、天然水を買いに出た。
ふだんどおりの水割りのつもりが、水が臭ってまずいのだと言う。
私はその差に気がつかなかった。徐々に慣らされたのか、田舎の水の味を忘れてしまっていたのだろう。
海外に行くと水道水をそのまま飲まないこともあってか、いつしかペットボトルの水を持ち歩くようになった。天然水の種類も増えたが、お気に入りはアルプス山麓系の水だ。
さくらんぼの季節である。山形に行った。早朝に家を出て車で高速道路を通って米沢で下りた。昼飯時、米沢牛を渡レストランに入った。残念なことにビールは飲めない。冷たい水を1口飲み、もう1口と続けざまに飲んだ。車の中で天然水を飲んでいたから、それほど喉が乾いていたわけじゃない。
「この水はどこの水なの?」
係りの女性に聞いた。
「あのう、ふつう水ですけど」
「ふつう?」
「上水ですけど」
うつむき加減に、はにかみながら言った。
「え?水道水なの?どこかの天然水かと思った。美味しいなあ。お代わり下さい」
女性の顔が、晴れた。
20リットルのポリタンクを買って、水をもらって帰ろうか。山形のお米「つや姫」にこの水は合うはずだ。
米沢だから水源は最上川水系だ。
最上川の源流は、福島との県境の西吾妻山山麓だという。隣の飯豊山系からの置賜白川と合流し、その後月山系の水を引き込みながら日本海の酒田に注ぐ。
「五月雨を集めて早し最上川」
芭蕉もこの美味い水を飲んだに違いない。