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一枚の写真から父をたどる旅

父がガンで亡くなったのと同じ歳になった。寡黙な父で、若いころの話はあまり聞いた覚えがなく、子供に対して説教じみた昔話もなかった。こちらもさして興味がなくそのまま時が過ぎた。田舎の家を処分することになって、古いアルバムに軍服姿だがくつろいだ父の写真を見つけた。

「漢口にて、昭和19年」と裏に書いてある。

漢口?中国の武漢のことだ。
そういえば、小さいころ「戦争で中国に行った」とは聞いてはいたが、場所までは知らない。

「鉄砲撃ったことあるの?」
「ある。田んぼに水牛がいたから狙った」

記憶はこれだけ。
小さい子供に、戦争だからといって「人を撃った」とは言えない。だから水牛なのかもしれないが、ウソを言っているようには思えなかった。今となっては全くわからない。

今さら父の若いころを知ってどうなることでもない。でも、たった1枚の写真が漢口のものであり、所属の連隊がどういう経歴で中国にかかわったのか。歴史をひもとく必要があると思いました。

なぜって?
父がいた漢口(武漢)、そこで当時何があったのか。また漢口に至るまでとその後の移動の状況を知りたい。わたしも中国にはパスポートが入出国印で真っ赤になるくらい一時は通っていたことがあり、武漢も何度か訪れた。時空を超えた共有感を持ちたくなったからです。

「今だから書ける父母への手紙」(檀ふみほか)。『火宅の人』の娘(檀ふみさん)は25年たってからはじめてその本を読んだそうです。父が家族に手紙を書いたニューヨークのホテル、そこに行き読んだ。父の愛情、哀しみ、鬱屈した思いなど重ねたいと思ったのでしょう。

ウチの父が残したのは一枚の写真だけ、手紙や書き物はない。いつか漢口に行き写真をながめながら、ふみさんと同じように思いに浸ってみたいものです。