#175『日本的精神の可能性』呉善花
著者は日本に帰化した韓国人で、保守系論壇の著名な一人である。韓国人の目線による日韓比較は興味深く、また説得力がある。やはり揉め事というのは双方の視点を得ないとよく分からない所がある。日本人が日本人の立場だけから「困るなー、韓国は」と言っても、私みたいな慎重な人間は「どこまで本当なのかな」と思ってしまう。人というものは結構、他人に関して分かったようなことを言うものだから。「韓国人はこうだから」というように。
しかし同じことを韓国人本人が言うと「え、そうなんだ…」と自己暴露を聞くような感じで、そのまま受け入れることが出来る。著者は韓国を捨てた立場なので、勿論、日本に甘い。韓国には厳しい。しかしそれを偏っているとは思わない。著者による事実の報告によると、確かにかなり手に負えない国である…という印象を払拭することは難しい。
だからと言って品の無い嫌韓に至らせるのが本書の目的ではない。「だから日本は素晴らしいんですよ。あなたたちが当たり前と思っている美徳や能力は決して当たり前ではないんですよ。大切にして下さい。それが世界を良くするために必要な力なのですから」というのが、著者の一貫して伝えたいことである。
いくつか印象的だった箇所。
・湯呑や茶碗の歪みを愛でるのは日本人の感性。一般の韓国人は「犬用の茶碗」としか見えない。韓国人の人工志向、対する日本人の自然との共生感覚が垣間見える所。
・同様、日本人はどんなに狭いベランダでも植物をよく育てる。韓国をはじめとするアジア諸国でこれはない。またはごく最近広まった流行。
・日本人は金持ちの家もその他多くの家と大差がない。日本以外の国では金持ちの家は圧倒的に大きく、広く、贅沢である。格差を好まない日本人の平等思想が表れている。
・日本人は実は決して閉鎖的ではない。むしろ韓国人中国人の方が他人に対して閉鎖的である。彼らは血縁家族しか信じない。だから非血縁の人と仲間になろうとする時には、全力全開でアピールする。そうしないと裏切られてしまう不安があるからだ。日本人はそういう不安を持たないので、自然にするっと他者の中に入り込み溶け合うことが出来る。
など、なるほど~、と思う所が多かった。