#203『ヴァイオリンは語る』ジャック・ティボー

 好きなヴァイオリニストは色々いるが、ティボーは私の中でずっと別格の位置を占めている。彼のヴァイオリンは古き良き時代を共に連れてくる。カザルストリオのメンデルスゾーンの1番、なんという響きだろう、あれは。演奏技術も録音技術も音楽解釈も100年前の当時より進んだ。しかしあの名演を超えるものは決して出ないと思う。
 それをなぜか、と考えると、やはり人間性への信頼や賛美、そして誇りというものが、あの当時には世界に充満していたのだと思う(断っておきたいが、「強国では」という但し書き付きであるが)。欧米でも日本でも、本気で人間の可能性を信じている人々がいた。二つの世界大戦が人間性に対する信頼を決定的かつ永続的に失わせたのだろうと思われる。
 今の時代は良くも悪くも打算的になっている。夢や希望だけでは現実が動かないことを私たちは学んだ。それで、夢や希望は結構だが「どうやって?」という問いが幅を利かせるようになった。とても現実的で利口だが、過ぎ去りし日々を思うと、私には残念に思える。本書の中で、ティボーの子供時代にこういう会話がある。学校にて。
「4掛ける6は?」
「12です!」
「24だよ!」
「そんなことは分かっています!」
「じゃあなぜそんな冗談を言うんだ」
「冗談じゃありません。幻想なんです」
父が言う。
「どうするつもりだね」
「大丈夫さ!ちょっと幻想があれば何だって出来るよ!」
 これを子供時代の他愛もない言い逃れと思うなかれ。ティボーは一生涯かけて、こういう考え方をする人だったのだ。とても良い意味で、頭でものを考えず、心で感じていた時代、そういう人を社会が許していた時代…という気がする。そういう時代の雰囲気、鷹揚さや信頼が、彼のヴァイオリンの響きには込められている。
 本書前半は驚くほど素晴らしい。芸術家のきらめく感受性が幼い子供の体中に満ちている。初めて読んだ時思ったものだーーこんな素晴らしい文章を音楽家が書いたら、一体小説家や文筆家はどこに出番があるんだ、と。それくらい透き通った、幻想的で愛と喜びに溢れた文章である。こんな時代があったなんて、と心から羨ましくなってしまう。
 しかしそれは破滅に達する寸前の謳歌をヨーロッパが楽しんでいた頃のことで、その後に大悲劇が待っている。同時代のカザルスは政治運動に身を投じ、世界の平和のために尽くした。本書を読む限り、ティボーはもっと楽天的で京楽的である。あまりその辺りのことは考えにないようだ。そしてコルトーはナチスに与した…政治的立場ではこのように異なる三者が、音楽では完全な芸術を表現していたのだ。
 本書後半はつまらない。チャップリンの自伝などもそうなのだが、これほどの天才は皆、幼少期に非常に奥深い心の体験をしている。それが喜びであれ苦しみであれ。しかし大人になり成功の道に入ってからは、何というか、こういう能力ある有名人ならではのエピソードの開陳の連続になり、「へえ、凄いですねえ」としか言いようがなくなる。
 とにかく本書は、前半が素晴らしい。
 

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