☆#120『顔ニモマケズ』水野敬也
前回記事でも書いたように、私は「幸せ」に関する現代社会特有の価値づけに対して疑いを持っている。まだ筋道立てて説明できるわけではないが、幸せへの過度の期待と価値づけが、この文明を悪化させているように感じている。そこに来て本書である。我が意を得たりという思いであった。
本書は顔に外見上の障害を持つ人たち、いらゆる「見た目問題」を抱える人たちに、著者がインタビューするというもの。☆#107『夢をかなえるゾウ』の著者であるので、これは絶対間違いのない本だと思って即購入した。
インタビューの姿勢がとても良い。非常に深い共感と配慮があり、しかし中核的な問題には一気に時を見て食い込んでいく。また一つの取材の短さも良い。話がだらだら続かず、凝縮されて「もっと聞きたい」と思うくらいで終わる。絶妙な采配。真に優れた文章の人であると感じる。
今回は素晴らしい言葉が多いので、そのまま引用する。
一人目は見るからに普通でない容貌をした男性。ずっとそのことで苦しんでいたが、ある看護士が言った。
本書の中には時々、このような真実の言葉を現れる人が登場する。普通、こんなことはなかなか言えない。同情するばかりが関の山だろう。しかしある人はこれを叱る。というのは、「顔がどうだろうと同じ人間だ」と思っているからだ。「顔がこうだから違う人間だ」と思っていたら、同情しか出ないだろう。私はこのような真実の人たちに心から尊敬の念を覚えた。
また同じ人の話で
ざわざわと鳥肌が立つ思いがした。苦境の極まった人はなんと鮮やかな発想の転換をすることだろう。
ここにもやはり強力な助言者がいた。私など「そうだね、それも無理はない。頑張ろう…」と同情して終わりなのではないかと思った。もしこんな機会が訪れたら、自分もまたこんなふうに励まし道を示せるようになりたいものである。
そしてこの対談の後記として著者はこう綴っている。
まさにこれが私の言いたいこと。「幸せになろう」「幸せになれる」「幸せになるべき」ではなく、自分の先天的な不幸と折り合うこと。
「先天的な不幸を克服して幸せになろうとすることは出来ない」と私が主張しても「いや、そんなことはない」と多くの人は反対すると思う。しかしそれは多くの人にとって「心」の実態が見えないからである。
対して「顔」は見える。この本に登場する人は全員、顔を正常に戻そうとする手術を何度も重ねて、諦めた。実際、無理だったからである。そこから「不幸の種」を受け入れることが始まる。それを拒絶するのではなく、折り合う努力を始めるのである。
人は目に見えるものだと容易に納得し、目に見えないものだと安易に反発する癖があるが、顔と同様、心もまた先天的な奇形を患うこともある。それゆえに私は「幸せにならなくて良い」と説きたいと思っている。「見た目問題」を抱える人が、手術によって「普通」にならなければいけない訳ではないように。
これについて詳しくは#119『最後の授業』を読んで下さい。
それにしてもこの本の中には、人間の心は何と温かいものだろうと驚きと共に感じさせられる箇所が多い。
9人が取材されているが、全ての人が肯定的である。自分は駄目だと引き籠らず――その時期も勿論経過したのだが――自分とこの世界のすり合わせをそれぞれの方法でしている。誰も世の中のせいにしていない。かと言って、自分が悪いと恥じてもいない。「どうにかなる」という自分自身へと他者への信頼感が凄い。
これは顔に大きなアザのある男性の言葉。
9人目はちょっと言葉では言いようのないほどの奇形の男性。こんな容貌があるとは寡聞にして知らず、ぬいぐるみや覆面か?と一瞬思ってしまった程である。その人の話。
本書に登場する9人に共通していること。それは親が良い。子供の障害をそのまま受け入れ、それでも普通に生きていけ、と力強く、優しく、背中を押す。極限まで追い込まれた人は強くなるが、その親となった人からも究極的な愛が描かれるものらしい。
「人は見た目ではない」という安易な言葉の向こう側に、おいそれとは伺い知れない現実が控えている。しかしその暗闇の更に向こうにやはり再び「人は見た目ではない!」という言葉が待っている。
著者の最後の言葉
特大こしき選書です。
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