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うにっき帳 vol.29 |自分史編|家族崩壊のその後(2)

はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.29を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きです。「アッチッチ~」はこちら

「家族崩壊のその後(1)」はこちら

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

    二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後(2)


 その受け答えの報告を母から聞いて、私は思った。姉は私のせいにするという安易な方法を選んで失敗したな、と。頭が良いと思っていた姉は案外そうでもないのだなとも。

 姉は勉強が物凄くできた。母や小学生の時の進学塾の先生から褒められ続け、ちやほやされてきたが、そんな姉も失敗するんだと思った。

 姉は、相手のキャラクターを読まなさ過ぎた。母は絶対に相手が屈服するまで折れないし、小手先の言い訳は通用しないのだ。姉も歳を取り(電話をした時点で四十手前くらい)、頭のキレが鈍ったのか、勉強ができるのと人間を見て適切な対応をするという能力は別だという事に私が気づいただけなのか、あるいははプライドが邪魔をして最適解の謝罪という選択肢が取れなかっただけなのか、姉と事務的な電話以外はあれからしていないので、その理由は今でもわからない。

 母は生前、よく言っていた。
「一言ごめんねと謝ったら、それで許してあげるのに、親子なんだから」

 母の性格を考えると、それは本当だったと思うが、姉はそうしなかった。
 私が姉の立場なら、即座に謝っていただろうと思う。母から見た私の唯一の長所が「優しくて、我慢強い子」であり、私はそういう行動だけをとるように期待されて育てられたからだ。

 母は、何度も私に確認した。
「あの法事の時、お母さん、間違ってなかったよな? どこか間違ってたか?」

 その問いに、いつも決まって「間違ってへんよ」と答えていた。それが母の喜ぶ答えだと知っていたし、何より当時は本当に姉夫婦だけに問題があると思っていたからだ。疲れか暑さにやられたせいかもしれないが、伯父や仏の前で怒って食事の途中で帰るなんて、と。だが、母と同じように怒っていたわけではない。彼女に合わせて、彼女に同情を示しただけだ。いつも母に「この子は優しいから」とか「腹が立っても、いつも我慢してくれる」と言われているうちに、私はいつも、どういう言動をすれば母との摩擦が少なくて済むかを瞬時に思考し、選択する癖がついていた。
                     (つづく)

さいごに

今回は自分史で、出来事というよりも、母、姉、私、それぞれのキャラクターが皆さんに(端的にですが)伝わるように書きました。いかがだったでしょうか? こうして書きながら自分を振り返っています。自分の感情を確かめてみると、特に姉に怒っているわけではありません。苦手意識はありますが……。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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