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転調 第一話

 

あらすじ

 生まれ変わったら、猫になっていた。しかも、飼い主は前世の飼い猫。
 立場が逆転する中で、飼い猫だったかすみは美人タレントに。しかし、彼女にずっとくっついている彼氏は売れないロックバンドのボーカリスト。
 
 かすみ、そんな男やめておけ。そう思っても、妨害すればするほど恋心は燃えるもの。こうなったら、猫なりに彼を立ち直らせなければ。そんな時、思いもよらぬ出来事が。

 飼い主と飼い猫の立場が逆転しても、仲良くなれるのか? 一人と一頭のドタバタ動物ファンタジー小説

(第一部) 第一話

『かすみ』の葬儀が終わった。ペット葬祭業者に自宅まで来てもらい、箱に色とりどりの花を、かすみの周りに敷き詰め、それを業者が運転してきたトラックの後部にある焼却炉へと運んだ。頭がぼーっとして気分は沈みきりで、体が鉛の様に重い。
 十四歳だった。ロシア原産のサイベリアンという種で、長毛で背中が青み掛かった灰色でお腹が白く、体格ががっしりした猫だった。新婚間もない頃、妻がペットショップで見つけてきて、どうしても欲しいと言っていたので、猫を飼ったことのない私は、渋々ショップまで付いて行った。
 猫なんて飼えるのか?私の不安の大半は、ガラスケースに入った猫を見た途端吹き飛ばされた。まだ、生後四か月だというのに、体毛がフワフワに全身を覆っており、その中でアーモンド形と卵型の中間の小さいがくっきりとした瞳が、私を見つめていた。そして口を開けて「ミャー」と小さく鳴いた。それは、私に飼ってくれと、おねだりしている様であった。横にいた妻が「ね、可愛いでしょう?」と肘で私をつつく。
「抱っこしてみますか?」
 店員の勧めで、ショップ内のテーブルに腰を掛けて待つ事にした。人生で、猫を抱っこするのも初めてだと気付いた。
 店員が猫を連れて来たので、恐る恐る膝の上に載せてもらい、猫を落とさぬように両手で覆った。猫は、最初はびくびくしながら。私の膝や両手の匂いを丁寧に嗅いでいたが。落ち着くと私の胸の方によじ登って、私を見上げる格好となった。少し涙を含んだ青色の瞳で見つめながら、ひと声「ミャーオ」と鳴いた。私の心はこれで決まったが、不安が全て解消されたわけではなかった。店員にあれこれ聞く。
「私、猫アレルギーがあるかもしれませんが」
「この子は、アレルギーの起きにくい品種ですよ。抗原というアレルギーを引き起こすたんぱく質が少ないので」
「家を留守にしても大丈夫ですか? 私、工場に勤めていて、泊まりの時もあるし、その時妻が実家に帰る事もあるんですよ」
「猫ちゃんは、お水とご飯があれば一泊くらい大丈夫ですよ」
「ご飯は、何を作れば?」
「ご飯は、あちらのコーナーに置いてありますので、猫ちゃんの好みに合わせて選んであげて下さい。トイレは自分で砂の上にするので、砂を定期的に交換してあげて下さい。砂もあちらです」
「大丈夫だから。私、猫飼った事あるし」と妻が口を挟み、私の決意は固まり、食器やトイレなど一式を揃えて。猫を連れて帰った。
 名前は女の子ということもあり、『かすみ』にした。深く考えたわけではなく、私が偶々テレビで見た、アイドルグループのセンターにいた娘から貰ったものだった。妻はもっと猫らしい名前を主張したが、私は音の響きがこの子に合っている気がして、譲らなかった。
 かすみは臆病で、家に来ても部屋の隅にじっと座って私を見つめていた。購入したペットフードに口をつけなかったので、心配になった私は豆乳アイスをかすみの口に近づけてみた。猫が食べても大丈夫な物だ。はじめ、アイスの匂いを嗅いだ後、ペロペロと舐めたので、安心した。その後は、スプーンに載せたアイスでかすみを誘導して、家の中を探索させた。「この世界は安全だよ」という私からのメッセージを受け取った後のかすみは、やがて家の中で活発に動き回るようになっていた。
 猫は気まぐれで、人にあまり懐かないと思っていた。ところが、この動くぬいぐるみは、私や妻の後をいつもついて回っていた。私がトイレに入ると、ドアの下から前足を差し出して様子を伺い、妻が風呂に入ると、脱衣所に座り込み、淋しそうな声で「ウミャーオ」と鳴き続けた。
 私達夫婦には、なかなか子供ができなかった。その分、家具を齧り爪を研ぐいたずらっ子だが、甘えん坊で人懐こい『毛玉の天使』を大事にようと二人で誓った。そう誓った筈なのに。どこで間違ってしまったのだろう?

結婚して十年程経った頃、食品会社の本社工場から埼玉の工場へと工場長として出向になった。宅食という、各家庭に配達する為の弁当を作る小さな工場だった。二十四時間稼働する生産体制で、日勤の時間帯と夜勤の時間帯に、工場を管理する人間が必ず必要だという事で、私と、元から工場にいる次長が交代で工場に泊まるようになった。
工場にいる時間は途方もなく長かったが、それでも家に帰れば、必ずかすみをブラッシングし、おやつを食べさせ、ボールで遊んでやった。この頃のかすみは、昔と違ってあまり走り回らなくなり、高い場所へのジャンプの回数も減っていた。老年期に入ったようだが、ボールには相変わらず喜んで飛びついていた。
私が職場に泊まる日が増えるにつれ、妻の機嫌は段々と悪くなっていた。
「浮気でもしているの?」
 問い詰められ、タイムカードの写しを見せて。やっと納得してもらった。月に一度、工場にやってくる産業医(職場の健康管理を行う医師)からは「時間外と休日出勤を合わせると月百七十時間を超えていますね。メンタルを崩すので、工場への泊まりは減らしてください」と警告された。
 これには工場を管理する責任者を増やして対応するしかなかった。そこで、生産管理部長にもお願いして。夜間の泊まり勤務の一部を担当してもらうことにした。漸く、私の時間外勤務が百時間を切るようになった。だが、不規則な生活が続いた所為か、私は眠れなくなっていた。どんなに疲れて家に帰っても、布団を敷くと次の日の生産計画や安全管理について考えこんでしまい、まんじりともせず横になって何時間も過ごした。そんな夜に、かすみが布団の中までやって来て、私の体臭をクンクンと嗅ぎ。寄り添ってくれたのが唯一の救いだった。
 眠れない日々を過ごしながらも。毎日の生産目標をクリアし続け、工場長としての役目もなんとか果たせていると思えるようになった頃であった。夜勤を終えて帰ろうとすると、事務室で次長に呼び止められた。
「森須工場長、すみません。今本社からメールが来ておりまして。うちの工場、M&Aで他社に買われたらしいですよ」
「本当?」と聞きながら、自分のデスクのパソコンを開きメールを開く。電話で本社にも確認を取り、その上で次長に告げた。
「どうやら、うちは大阪フィッシュデリー社に買収されたらしいね。この工場だけ、今までの親会社から切り離されて、フィッシュデリー傘下の工場として生まれ変わるらしい」
「私達はどうなりますか?」次長が不安そうに聞く
「具体的な交渉はこれからだそうだが、雇用と待遇は今まで通り保障されるらしい」
 この話は私にも、別の不安の種があった。
「ただ、これまでのような宅食ではなく、魚介類の加工品を取り扱う事になるようだ。コンビニ向けの蛸の燻製やサバの味噌煮のパックらしい。生産設備を大幅に変える事は確実だそうだ」
「資金面ですか?」
「いや、そこは新しい親会社が出すだろう。それよりも、設備入れて、マニュアル作成して、従業員教育をやり直さなければ。それとフィッシュデリーは衛生管理に厳しいという噂だから、作業前に行う手洗いの設備変更や、汚染区域と調理区域の動線(人の移動を示した線)も交わらないように考え直さなければならないだろうな」

 数日後から、新しい親会社の下で、工場を再稼働する準備が始まった。冷凍庫や加熱の為の巨大なボイル機やベルトコンベアーは、従来あったものを使用できた。だが、燻製機や真空パックを作るための包装機は、新たに導入しなければならなかった。親会社の人間の立会いの下、動線を確認し、狭い工場内にジグソーパズルの様に機械を設置した。また、作業前の手洗い方法に不備があるとの指摘を受けた。これまでは、流水と薬用石鹸のみで手洗いを行っていたが、更に消毒用の逆性石鹸も使用することになり、手洗い回数も変更になり、手順も複雑化した。
 私と次長と生産管理部長は、何日も泊まりながら新しい工程の確認を行い、機械の使用法を学んだ。フィッシュデリー本社からは、大量の生産目標を提示があり、一日も早く稼働せよと、矢の様に催促が来る。我々管理職が現場の主任たちと共に、恐るゝ生産ラインを稼働させ、それが上手くいくと、パート従業員たちに教えながら、漸く製造開始にこぎつける事ができた。

 何日かぶりに重い体を引き摺りつつ家に帰ると、かすみだけでなく妻も玄関に出迎えてくれた。
「おかえりなさい。ねえ、いいニュースがあるんだけど……」
「もしかして……」
 私は何の事か察しがついた。
「そうなの!八週なの!あなた忙しそうだったから、黙っていたんだけど」
「これまでよく頑張ったな」これまでの不妊治療の苦労を思い出して、やっと報われたと感じた。私は、かすみにも話しかける。
「かすみちゃんに、弟か妹ができますよぉ。仲良くしてね」
 かすみは、私の顔を不思議そうに眺めていた。

 夜勤明けの日、工場は次長に任せ、心療内科を受診することにした。工場の産業医である宇似医師に眠れないことを相談すると
「二週間以上、寝つきが悪かったら心療内科を受診してください。不眠はメンタルを崩しているサインかも知れませんし、メンタルを崩す原因にもなりますから」
 普段ニコニコしている先生から、深刻そうな顔をされると私も心配になる。クリニックでは「うつ病とは言えませんが、かなり疲労が溜まってらっしゃいますね、お仕事休めませんか?」と担当医に聞かれ「とても休めません」と答えた。担当医は、不眠だけでも改善させましょうと、睡眠導入剤を処方してくれた。それを内服する事で、今まで寝る前にビールを飲んでも寝付けなかった私が、久々に深い眠りに落ちることができた。

 本社から要求される生産量が多く、また新体制になって社員もパートも何名か辞めたので、従業員数を増やす必要があった。本社からの斡旋で、タイ・ベトナム・バングラディッシュから外国人留学生を採用することにした。
 全従業員の半数近くに当たる二百名を雇用したが、ここからが大変だった。本来は管理職が行うべき衛生や安全教育に、時間や人手を割くことができなかったので、手洗いだけ教えて、後は主任などの生産ラインの責任者に丸投げしてしまった。次長からは「日本語が通じない人が多いと、現場からは不満の声が出ています」と言われたが、危険な作業には関わらせないように指示を出して、このピンチを切り抜けようとした。

 何とか、人手の目途がついたと思ったのも束の間だった。慣れない留学生の受け入れに、私は元より、ほかの社員たちも戸惑っていた。実習生が手洗いをしないで、製造ラインに入ろうとしたので「待って!ちょい!ウェイト!」と声をかける。商品が流れているベルトコンベアーは、機械が動いている間は手をコンベアー内に入れることは安全上禁止されているが、守ってもらえない。我々管理職も常に巡回し、事故が起きないように見張っていなければならなかった。

 それでも事故は起きた。動線の変更により、転倒事故が頻発した。
包丁での切創事故も何度かあった。以前ならば、工場内で起きた事故は、産業医も参加する安全衛生委員会で発表し、スタッフ全員で情報を共有していただろう。更に、産業医に職場巡視を行ってもらい、事故現場の検証を手伝ってもらっていた。だが、組織変更による混乱で、会議そのものが行われていなかった。月に一度、来社する宇似先生には毎回頭を下げていた。
「申し訳ありません。今月も安全衛生委員会を開く目途が付きませんので……」
「では、時間外労働時間が飛び抜けて多い方の面談だけでも……」
 宇似医師は、手ぶらで帰るわけにはいかないというように食い下がる。
「いえ、今は皆忙しいので、面談はちょっと……」
「新しい方を雇うより、今いる人を守る方が大切ですよ。穴の開いたバケツに水を注いでも、事態は改善しませんよ」
 私は、うるさいな、今そんな暇ないんだよ、と言いたいのをぐっと堪えて「来月には落ち着きますから」と産業医を帰した。

 一か月後、燃え尽きたように、生気のない顔をしていた次長がダウンした。その朝、起きたら体が動かなくなったらしい。心療内科を受診し『自律神経失調症』の診断を受けたと連絡があった。彼は、入社以来初めて有給休暇扱いで休み、そのまま退職することとなった。
 
 
 次長の退職で、再び私の業務量が莫大な物になった。生産管理部長を次長に昇格させて、急場を凌ごうとしたが、今度は生産管理部の人手が不足し、そこの社員から悲鳴が上がった。月百時間以上の残業をこなすものが続出し、社員は月に一人二人のペースで工場から去って行った。
 社員が減っても、本社からの補充はなく、外国人留学生ばかりが送り込まれてきた。この頃から、本社から生産目標の遅れを厳しく指摘され、私の気分は塞ぎがちで、眠れなくなっていった。
次第に私は薬を飲んでも眠れなくなっていった。
 生産の遅れに痺れを切らした本社は、子会社を管理する部門の人間を送り込んできた。小太りの体型に紺のスーツを着込んだ男は「寒川です」と名乗った。私は、工場内を一通り案内し、生産目標に未達が続いていることを詫びた。
「生産目標を守れていない事も問題ですが、衛生管理も当社の基準では不十分ですね。作業前に行うべき体温の測定もされておりませんし」
 資料を見ながら、寒川は私をギロリと見る。
「申し訳ありません。従業員は増えましたが、教育が不十分で……」
「失礼ですが、森須工場長。工場長には少し荷が重いのでは?」
「い、いえ」
 私には、何の意味か分からなかった。
「労災も頻発していますし、退職者もでて、目標には届いておりませんし、工場長もお疲れの様ですし……」
「いえ、私は大丈夫ですし、もう少しお時間を頂ければ……」
「この辺で、工場長には、運営から一旦引いていただいて。休養を取って、リフレッシュしていただくのがベストだと思うんですがね。本社にもその様に報告しておきます。それとも、この現状を回復させる具体案がおありですか?」
「はぁ」
 有無を言わせぬ圧力に負け、私は管理職から身を引いた。
     (つづく)


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