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うにっき帳 vol.43|自分史編|伝説の伯父さん(2)


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.43を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。「伝説の伯父さん」の続きです。前回読んでいらっしゃらない方、こちらです。

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

    恐らく一九八二年 伝説の伯父さん(2)


 母は伯父を軽蔑していた。そして口には出さなかったが、嫌っていた。母の言う事に間違があるはずがないと思い込んでいた私も、自然に伯父を軽蔑した。幼少時から大人になるまで、いや、実は母が亡くなる直前まで、母のフィルターを通してしか物事を考えられなかったので、母と同じ意見しか持たなかったのだ。姉は母の作った受験マシンだが、私は姉の事を笑えない。母と価値観を共有していたし、共有しないのは間違っているとさえ思っていた。その意味で私は、自立した人間でさえもなかった。

 その母によると伯父は、小学校の時には勉強ができず、通知表は一と二ばかりで、祖父母や妹である伯母を驚愕させた。祖母がつきっきりで勉強を教える事になり、九九が覚えられないと、殴り飛ばしていたという。当時、三つ下で幼稚園児だった母は、近くで祖母が教えるのを聞いただけで伯父よりも早く九九を覚えたと豪語していた。

 殴られた伯父は、倒れた体を起こし、机から落ちて散らばった教科書とノートを拾って再び机に向かったという。
「あの人は頭が悪かったが、根性はあった。お婆ちゃんとあの人はサリバン先生とヘレンケラーみたいだった」
 と、母はそのエピソードを美談として何度も私に聞かせていた。勉強をしない私への嫌味もあったと思う。私はその通りだと思う反面、どうしても勉強をする気になれず、この話を聞くたびに心苦しかった。その影響か、今でもヘレンケラーを好きにはなれない。彼女も教育虐待を受けたのかも、と思うからだ。彼女に罪はないのだが。

 伯父は人として、やってはいけない事をやる癖があったようで、小学校に上がるか上がらないかの頃、幼い母やその姉を乳母車の座布団の上に座らせ、自らはそれを押して畑のあぜ道を歩いていたという。座布団の下には、家で飼っていた数羽の兎が居たらしい。それを知らない母達が降りた後、兎はみんな死んでいたという。伯父は、祖父母にこっぴどく叱られた。
                       (つづく)

さいごに

今回は自分史で、伯父さんが祖母にしごかれた話を書きました。これは教育虐待として、我が家の伝統のようです。私は母には殴られませんでしたが、こっぴどくは何度も叱られたし、塾の講師に殴られているのを見て見ぬふりでした。このような事は、私の代で必ず止めます。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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