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うにっき帳 vol.49|自分史編|伝説の伯父さん(8)


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.49を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。「伝説の伯父さん」の続きです。前回読んでいらっしゃらない方、(1)~(7)はこちらです。

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

     恐らく一九八二年 伝説の伯父さん(8)


 伯父は、性的、金銭的、アルコールなどに依存していた。祖父母はその伯父の尻拭いや金銭的援助をする事によって、イネーブラー(依存を助長する人)や共依存者になっていた。そして、そんな祖父母に更に共依存していたのが母だったのでは、と思う。

 母は面倒見が良く、家族だけではなく他人のトラブルにもしばしば介入した。それは良い面もあるのだが、更なるトラブルを呼ぶこともあった。それに、彼女は心理的な報酬を期待して、それが得られないと怒る癖がある。心理的な報酬とは、感謝の気持ちであるとか、彼女のアドバイスを素直に聞き入れる事だ。この二十万円の仕送りの件も、母に対して労いの言葉があったり、彼女のアドバイス通り、祖父母が伯父に対する甘い対応を考え直したりすれば、そこまで怒らなかったのではと思う。

 我々の偵察旅行から、数年後、母が嫌って怒っていた伯父が、とうとう一の谷の我が家にやって来た。確か二度ほどすっぽかしたとは思うが、さすがに三度目は本当に来た。しかも泊りで。それが、クリニックの破産の前か後かは覚えていない。

 ヒロコさんも一緒に来た。これがちょっとした事件を生んだ。私は、母が伯父を嫌っているのを知っていたし、伯父は私に興味が無かった。それに私は幼稚園くらいの頃、窓の外へと逆さ吊りにされて以来、彼が苦手だった。だからほとんど話をせずに、自室に引きこもっていたと思う。

 翌朝、伯父達が帰った後、母から聞かされた話によると、ヒロコさんと伯父が大喧嘩をしたらしい。その時、ヒロコさんはうちのベランダに出て大きな声で
「ちょっと皆さん、聴いてくださーい」と叫んでいたというのだ。これは、私達一家にとって迷惑以外の何物でもなかった。そんな人達を母が何故泊めたのか疑問だった。
                (つづく)

さいごに

今回も自分史で、伯父さんの話を書きました。母はいつも、面倒を見る代わりに感謝やアドバイスの受け入れを要求します。これは、私の教訓となっていて、「何か親切をするときは、見返りを求めない」ようになりました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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