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うにっき帳 vol.32 |自分史編|家族崩壊のその後(5)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.32を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きです。「アッチッチ~」はこちら
「家族崩壊のその後(1)~(4)」はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後(5)
母と姉はどちらも気が短かったが、大きく違う性質もあった。姉は勝気で強いが、脆いところもあった。私が我慢しきれずに激怒した時、姉はあっさりと泣き崩れる。母にはそのようなところがなく、折れたところを見た事がない。
普段は、二人とも尊大ともいえるほど強かった。しかし、気の強さで私をいつもびくびくさせていた母と姉も、人生が順風満帆とはいかなかった。姉は気が短く、家の中では女王様のように振舞う事もあったが、その姉が恐れるほど更に短気な男性と結婚することになったのである。人間、案外自分と釣り合う相手と結婚するものだと感心した。母は、黒豚を非難しつつ姉の結婚生活を心配していたが、それも、自分に似ている娘を溺愛していたからだと思う。
姉は、人生の途中までは、母の最高傑作であった。彼女自身、相当成績が良かったらしく、色素関係の化学工場に勤めてから、短大の講師を行い、その後、自宅で個人塾を開いていた。その言葉を信用すれば、小学校六年間成績がオール五で、現役で岡山大の医学部に受験し、惜しくも落ちたというのである。一浪しても、医学部に行く事は叶わず、なぜか神奈川大で応用化学を学ぶことになったという。今見ると、国立医学部と神奈川大とではずいぶん偏差値が違うようにも思うが、当時、地方受験ができる数少ない大学だったから受験したという話である。女子の大学進学率が低く、クラスで女子が二人しかいない中で、部活に勉強に家庭教師のバイトにと、全力投球した話はよく聞かされていた。
その母が仕込んで作った姉は「男子なら灘中に行ける」と言われた逸材だったらしい。私より五歳年上なので、どの程度勉強ができたのか、正確にはわからないが、母の話しぶりや、後に通う事になった姉と同じ学習塾の先生からの「お前は姉と比べて全然大した事ないな」という言葉からして、かなりのものだったのだろう。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。話がキャラクター紹介に移行しているように思われますが、語っておきたい順に語っておりますのでご容赦ください。母の強烈なキャラクターと、姉の強さと脆さ、ここを説明しておきたいなと考えております。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。