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うにっき帳 vol.30 |自分史編|家族崩壊のその後(3)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.30を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きです。「アッチッチ~」はこちら
「家族崩壊のその後(1)(2)」はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後(3)
そのように行動できない姉を不器用だとか、要領が悪いと思っていたが、今となっては、姉に対する見方は正しいかもしれないが、私自身が回避的な生き方をしていたから、他の人がそう見えたのだとわかっている。
私達は、一族の小さな世界に生きていた。そこでは見えない軛がみんなを制約しているのに、自分達は自由だと思っていた。これは、私や姉だけでなく、母もそうだった。祖父はどうだかわからないが、恐らく祖母もそうだろう。そして、人生の大半を入院生活に費やした伯母も、酒と女性と借金に溺れた伯父も。
しかし、当時、母だけが一族の中で「まともな人」と自称し、私も姉もそれに同意して尊敬のまなざしで見ていた。姉は「優秀だが、気が短くて情緒不安定な子」で私は「おとなしくて我慢強いが、勉強が嫌いな劣等生」という役割だった。
その役割に応じて、母は姉と姉の選んだ夫の悪口を聞かされることになる。この悪口は、アッチッチ事件前から始まっていた。しかし、少なくとも姉と母との関係は良好だったと思う。
姉の結婚後も、姉夫婦と母との行き来は盛んだった。それにも関わらず、母は姉の夫に怒りを感じていた。その怒りのエピソードは主に二つあった。
一つ目は、この三人が、中国の青島にあるという母の生まれた地へ旅行に出かけた時に起きた。経由地である北京の空港で、黒豚に母が怒鳴られたというのだ。迎えに来るはずのツアー会社の人が見当たらず、姉の夫が探しに行こうとした時に、母が別方向の少し離れた場所でガイドを見つけたらしい。そのガイドを呼び止めようと早足で歩くと
「迷子になるから、チョロチョロ動くな!」
と怒鳴られたらしい。母は屈辱に耐えて何も言い返さなかったという。
(つづく)
さいごに
母は、中年の方はみんなそうかもしれませんが、同じ話を何十回もします。それで、私もストーリーをすっかり覚えて、シーンが目に浮かぶくらいスムーズに語れるようになりました。その反面、同じ話に飽き飽きするので、人の話を聞き流す癖もついてしまいました。妻にその事をはなすと「配偶者に言わないでくれる?」とチクリと刺されました。反省です。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。