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うにっき帳 vol.31 |自分史編|家族崩壊のその後(4)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.31を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きです。「アッチッチ~」はこちら
「家族崩壊のその後(1)(2)(3)」はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後(4)
もう一つは、姉の娘がよちよちと歩き出した時の事だった。先に上りエスカレーターに乗っていた母は、後ろで黒豚が「うわあ!」と大声を出すのを聞いた。母は孫が転ぶなどのトラブルに見舞われたと思い、エスカレーターを逆走して駆け下りたらしい。その時、彼は「子供が見とる!」と、母に怒鳴りつけたというのである。彼女としては、緊急事態に已むを得ず逆走をしたという事だったのだろう。それなのに、母の行為は子どもの手本として相応しくないという意味で、娘婿に強く叱られたのだ。
母はこの二つの事件と法事の件を合わせて三つのエピソードを何十回、いや何百回と私に聞かせた。それはお決まりの話で飽き飽きはしたものの、彼女の言う悔しさは理解していた。儒教社会に生きる人間、特に我が家のように年長者を敬うよう厳しく躾けられてきた我々にとっては、黒豚の言葉遣いは決して許されるものではなかった。しかし、我が家、いや、祖先から続く我々一族の歪みの大きさが、黒豚のような人間を姉が引き寄せ、母がそれを不満に思いながらも、姉夫婦と距離を置くことをせず、不満を表明せず、それがいつかトラブルを生む事元凶となったのだろう。しかし、母は、その原因を黒豚の生まれや育ちの悪さと、姉の運の悪さのせいにした。黒豚の気の短さは、実家の下品な態度を見ればわかるというように。
母は、血の繋がりを何よりも重視し、全ての答えをそこに見出していた。
「××は□□そっくり」などと、血縁関係の類似点を挙げるのが好きだった。性格の遺伝率は四十%に過ぎないのに。そして、類似点を見出した相手は何よりも大切に扱った。だから、娘婿に不満があっても、姉と孫可愛さに交流を続けたのだろう。しかし、私から見る姉と母の気の強さは似ているのに、母はそれを認めようとはせず、優秀さという都合の良い部分だけを遺伝子の賜物としていた。
(つづく)
さいごに
記憶がよみがえる方向に話しを進めているので、回りくどく感じるかもしれません。ただ、うにっき帳では、エピソードそのものより、そこから浮かぶキャラクターや考え方を紹介することに主眼を置いてますので、ご容赦ください。我が家の歪みについては、今後徐々に紹介します。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。