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水深800メートルのシューベルト|第560話

 バス停のひさしの下に入ると、そこにいた男は笑みを浮かべて手を差し出してきた。僕はその手を形だけ触れるとすぐに引っ込めた。その笑みは偽物だとわかっていた。きっと僕を逮捕しに来たんだ。僕の胸を早く打ち鳴らす鐘が、そう告げていた。


「ちょっと、いいかな?」
 男は髪をオールバックにして広い額を見せつけるようにしていた。額だけではなく、一本の細い線をキリリと描いた眉、灰色の瞳も髪に邪魔されたくないようだった。真っ直ぐな鼻の下には、本で見たドイツの軍人みたいな髭がたくわえられており、その下の口元だけが笑おうと努めていた。


「オークランド市警のパディソンだ。アシェル・スコットだね?」

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