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うにっき帳 vol.45|自分史編|伝説の伯父さん(4)


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.45を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。「伝説の伯父さん」の続きです。前回読んでいらっしゃらない方、(1)~(3)はこちらです。

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

   恐らく一九八二年 伝説の伯父さん(4)


 二人の結婚生活が不幸であったというのは、別に妻のオットセイだけが悪いという意味ではない。二人の間には一男一女が生まれたが、伯父は酒癖が悪く、酔うとふざけて長男の顔に殺虫剤を噴射したりしていた。そのせいか、私の従弟で兄の方は暗い文学青年といった雰囲気を醸し出していた。彼と何度か話したことがあるが、いつもニヒリズムの影響を受けたような話し方をする。彼の事は嫌いではなかったが、人生の闇を見続けてきたような独特の雰囲気があったので、どう話をして良いのか戸惑っていた。

 家の中では子どもに負の影響を与えていた伯父は、外に出るとスーパーのレジの娘をナンパし、向こうの言えとトラブルになったという。私が知っている彼の女性遍歴の中で唯一の昼間の仕事をしている女性だった。しかし、田舎は物事を穏便に済ますのが上手いと思う。トラブルになった時、レジの娘は嫁入り道具一式分の金を私の祖父母から受け取って、わずか数か月で遠方へ嫁に行ったのである。

 伯父が妻と子のいる家庭を捨てて、愛媛で家を建て、同地でクリニックを開業した頃、母は幼い私を連れて、伯父の経営するクリニックに行った。兵庫から愛媛への一泊二日か二泊三日位の旅だったと思う。遊びに行くというのは名目で、どうやら伯父のお金の使い方が荒いので、偵察するように祖父か祖母が母に頼んだらしい。私達一族は、よく家族の誰かを使って別の誰かを監視させる。私は、小六の時、姉と姉のボーイフレンドのデートに行くよう、母に命じられて行ったし、母自身は伯父の監視のため、同じ徳島大に行くように何度も頼まれたという。だが、その話は断ったらしい。母が言うには、合格には十分成績が足りていたらしいが、彼女のプライドが許さなかったらしい。自分の方が頭が良いのに、兄と同じ大学の後輩になんて死んでもなりたくないということだった。
              (つづく)

さいごに

今回は自分史で、伯父さんの話を書きました。母と私は二人で伯父の住む家とクリニックに行ったのを覚えています。幼稚園の頃か、小学校一年くらいだったと思います。高校野球をテレビで見たので、夏休みだったのでしょう。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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