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うにっき帳 vol.34 |自分史編|家族崩壊のその後(7)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.34を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きです。「アッチッチ~」はこちら
「家族崩壊のその後(1)~(6)」はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後(7)
後から考えると、姉の大学受験生活における不穏な空気はもっと以前からあった。高三の夏か秋だったと思うが、姉が急に医学部受験に疑問を持ち始めたので、母が怒っていたのだ。確か同級生だったとは思うが、白井というボーイフレンドに
「女の子が医学部に行くと、婚期が遅れる」
と言われて、迷い出したらしい。
教育虐待真っ盛りの母は、激怒した。今は女性も立派な学歴を持つ時代だから、性別を理由に進学の選択を狭めるような発言をするなんて人間の器が小さいと発言していた。母の数々の発言の中でも、この部分だけは賛同できる。それに、数々の女医さんを見てきて、婚期が遅れる人もいるが、学生生活が長いだけだとは思えない。
怒った母は、最後まで姉と白井の交際を認めなかった。母に言わせると、彼は成績の良い姉を妬むくだらない男だとの事だった。姉は一度、彼氏にあって欲しいと言ったそうだが、母は断固拒否をした。この時点で、白井は完全に母の敵となった。彼は、後に神戸大の経営学科に進学したことが判明したので、姉が共通一次に失敗して、神戸大に進学したのは、同じ学校へ行きたかったからかもしれない。
母は、白井の発言以前から、高校生の男女交際に反対だったので、自らは会うことなく、代わりに私を二人のデートに同行させた事があった。私が中学受験に合格した直後の春休みで、中学の通学路を三人で確認しようという話になった。確か、姉が高三になりたての頃だったと思う。母は、私に二人を見張り、白井の人柄を観察させようとしたのだろう。しかし、まだ小学生の私には何もできない。覚えているのは、彼も姉も吝嗇で、神戸から中学のある姫路まで片道一時間の旅に出たのだが、何も食べさせてもらえず、二度と行かないと心に誓った事だけだった。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。順風満帆に見えた姉の受験人生も、ほころびが見えた事を思い出しました。どこかで、私自身の挫折だらけの受験生活と対比させていきたいと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。