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うにっき帳 vol.47|自分史編|伝説の伯父さん(6)


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.47を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。「伝説の伯父さん」の続きです。前回読んでいらっしゃらない方、(1)~(5)はこちらです。

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

   恐らく一九八二年 伝説の伯父さん(6)


 診療の無い日か診療後に、伯父たちが住む家に招待された。母は後に「他人の褌で相撲を取るような真似をさせるな」と祖父母にこぼしていた。どうやら頭金も持たずに家を購入したらしい。それだけではなく、資金は祖父母がかなり負担したという。その家は、祖父母のクリニックを兼用した自宅があった三百坪よりはずっと狭いが、私や母が住むマンションよりはかなり立派だと思った。伯父のお金の使い方を見て、「だから、実印を渡すなと言ったのに」と母は嘆いていた。

 というのも、どうやら祖父は伯父が銀行から開業資金を借りる時に、祖父に保証人になってもらったらしい。その額は一億三千万円。それは、開業資金にしては高い気がする。もしかしたら住宅の価格の一部も含まれているかもしれないが、今となっては、はっきりしない。はっきりしているのは、伯父は資金を一円も出さなかった事と、数年でクリニックが倒産した事だ。

 家の門を入ると、石橋が池にかかっており、池には鯉が泳いでいた。のちに聞くと錦鯉という高級品だったらしい。家の中も立派だったが、何より驚いたのは掘り炬燵だった。当時(一九八〇年前後)、今ほど一般的ではなかったのだ。胡坐もかかず、正座もせず炬燵に座って入れるのはなんと楽なのだろうと、冬になった時の風景を想像した。その家には茶髪の女性がいた。ヒロ子という、伯父と同棲していた女性だ。顔はもう覚えていないが、当時、茶髪が珍しかったので覚えている。私には優しく接してくれたとは思うが、何しろ、髪を染める人は不良だというイメージがあったので、怖がっていたと思う。それに夜職の人だった。母が夜職の人を嫌っていたので、私も同じように好感を持たないようにしていた。
                  (つづく)

さいごに

今回も自分史で、伯父さんの話を書きました。いかがだったでしょうか。こうして書いていると、母から聞かされた話、自分が伯父と合って感じた事が甦ってきます。この伯父は大きな魅力ととてつもない欠点を併せ持った人ではないか、と思います。当時はそう思えませんでしたが。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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