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うにっき帳 vol.28 |自分史編|家族崩壊のその後(1)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.28を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話です。読んでいない方はこちらです
その後、姉夫婦と母は会う事はありませんでしたが、姉から母へ電話が一度だけかかってきました(私は母が亡くなる前に和解させようと、何度か電話をしましたが)。その話と、私から見た姉と母との関係性について浮かんだ順に(まさに徒然なるままに)書きます。
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後
二〇〇〇年頃に起きた、法事での(アッチッチ、帰ろ)事件による姉夫婦と母の仲違いの後、数年してから母の元に電話あったと聞いた。この年が何年だったかははっきりしない。姉は夜寝ていた母に電話をかけて起こし、ボソボソとした声で言った。
「次女が生まれました」
報告だった。それを口実に母と仲直りをしたかったのだと思う。しかし、母は曖昧な決着を嫌う。彼女はゼロか百かという生き方をしていた。
「あんた、何か言う事はないんか?」
母は、必ず相手に謝らせないと次へ進まないタイプの人間であった。その言い方に姉は反発したらしい。しかし、正面切って母を批判することは避けた。まあ、批判しようにも、姉の長女が熱い茶碗蒸しを姉の夫に吐き出してしまったのが原因で、母に文句を言う筋合いはないのだが。
姉は考えたのだろう。私が悪いことにすれば母の怒りは収まると思ったようだ。気の弱い私ならどんなに責めても我慢するだろうと。そこで、私が、全て悪いと彼女は主張しだした。夫婦が幼い子供の面倒を見ている横で、私が天婦羅を黙々と食べているのは間違っている。だから、母も自分達夫婦も悪くない、姪っ子の面倒を見るのが私の義務なのに手伝わなかったからだと言うのでであった。もっとも、当時大学生で子どもの世話などした事もないし、短気な姉夫婦になるべく関わりたくないと思っていた私には、どうしようもなかったのだが。
母はそれを聞いて怒りを露わにした。
「ふざけるな! あの子はあんな弁当を好き好んで食べると思うか? そんな事もわからんのか?」
その後、姉はトーンダウンして、言い訳じみた事を二言三言言っていたらしいが、母はピシャリと撥ねつけたという。
「そんな、ゴチャゴチャ言うて、仏様の前で、あの態度はなんや! しかも、伯父さんもおったんやで! あんな奴でも仏様の長男や。あの人のメンツも丸潰れや。もうええ、生まれてきた子の名前も聞きとうない」
それが母と姉との最後の会話になった。
(つづく)
さいごに
今回は自分史で、母の怒りの持続性と姉の短絡さ、気の強さが伝わればよいと思いました。私は、どう振舞うのが正解だったのかと、当時の事を考えてみたりしますが、あの時と今の自分とでは多少キャラクターが変わっているので、あの時に戻ってもどうしようもなかったと思っています。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。