光成さんのこと
どうして後になって悔やむことばかりなのだろう。
光成さんが亡くなった。どうやら最近体調を崩しているようだと人づてに知ったのはどれくらい前だったのだろう。それからどれくらいの月日が流れていたのか。頭の片隅に小さなしこりを残したまま日々は過ぎ、ついにその知らせを聞いてしまった。
私は光成さんを人一倍気にかけようと決めたことがあった。瀬下先生にはたくさんの教え子がいて、現役生も卒業生もみんな先生を気にかけている。旅行に行ったらおみやげを。転勤したらその地方の名産品を。先生の周りにはいつもたくさん人がいた。先生と光成さん、私たちはみんな同じくらいお世話になっていたのに。光成さんのごはん、私はいったい何度食べたのだろうか。思い出せないくらい食べたのに。
もっとできることがあったんじゃないか。そう思うくらいならどうしてやらなかったんだろう。
チェックシャツばかり着てる光成さん。
カメラを向けたらダブルピースする光成さん。
くるっとカールしたきれいな白髪の光成さん。
「おい、かな!」と呼ぶ声は今でもすぐに思い出せるのに。不義理を悔やむのはただただ自分の身かわいさからだ。もっと何かをしたかったのは自分のためだ。かわいがってもらった分を何も返せなかったことが嫌だからだ。光成さんだったら、「かな、いつまでもそんなこと気にするな」と笑って許してくれたかな。
私のもうひとりの恩師、光成さん。本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
※この文章を書いたのは2017年11月15日。公開することに迷いがあってずっと下書きに入っていたけれど、改めて読み返してみてちゃんと残しておこうと思いました。