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寂しさを愛せる時はいつ


さっきSNSで宇多田ヒカルさんが
部外者でいることに心地よさを感じる、とのことを言っている投稿を見つけた。

伝え方下手で変に伝わったらごめんなさいです
曰く、自分はアメリカにいても日本にいても
少し外国人なで少し部外者。
でもその中で自分自身を見つけることに慣れて
部外者であることを心地よく思う。ってな具合なことを仰ってた。

ごく一部の切り取りなので何を伝えたいかわからないと思いますが
この言葉を聞いた時サラッと
スナフキンみたいだなって思った。
孤独を愛する。

でも次にどこかに所属できないって
寂しくないの?って思った。
国だけが所属の全てではないしその人の居場所だって生きる範囲が広かったり関わる人の分だけ自分の居場所、立ち位置があると思う。

個人的なことを言うと自分は学生時代
クラスや学校の中でなかなか居場所を作れないでいた方。同級生と居るよりは先輩や先生と居た方が楽で。それはある意味末っ子気質を盾に構ってもらってたとも言うと思う。
先輩達が居るから同級生達と積極的に交流を持つことを怠っていた面もある。
でも自分だけではなくて、いくら同級生達の輪の中に入りたくても「お前入ってくるな」という態度をとられたら取り付く島もないしそんな人らと話したくないと思うのは自然な気持ちの流れであることも事実としてあった。
そこに積極性や努力が足りないか言う意見がもしあれば私はそう言って下さった方に
タイムマシンでも作って当時の私をサポートしてくれと言うと思う。
脱線失礼。八つ当たり少々ありました。

結局何か言いたいかと言うと私は今に至るまで
割と組織、チーム、グループといった輪から外れた所にいがちで
立ち位置部外者コースのほぼ真ん中を歩いてきたようなもんです。

なので、今でもどこかに所属してる自分を意識するのが苦手で存在の感覚が希薄になる時がある。自分個人を自覚するのが苦手で対人を通してじゃないと自分の輪郭を掴みづらい。

立ち位置部外者コースを歩んできたので
部外者の位置はあー、はいはい、またここねって感じで通い慣れたチェーン店みたいな感じだけど
どこか物足りなくて、少し寂しさが浮かぶ時がある。
どこかに所属したい。その輪の中で必要とされたい守られていたいって思う。
これは所属有無に関わらず対人であれば発生する事かもしれないし、所属有りでも大切に扱われないこともあると思う。

でもきっと。
輪に入る云々よりももっと深い気持ちとして
誰かと強く繋がりたいんだと思う。

部外者である自分を愛したいとも思う。
私、一人でも平気って言えるの単純にかっこいいとも思うし。
自分自身を見つける、自覚するってのも
目指す所というか、出来たら一つ強くなれると思ってるし。
スナフキンの孤独を愛するってのも好きだし。
ただ、その傍で誰かと手は繋いでいたい。
寂しさを愛して 人を愛して 自分を愛す。

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