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0003 A-side 山の牧場

1.山の牧場とは

関西の某所に存在する日本屈指のミステリーゾーン。始まりは当時大学生だった中山市朗ら4人が、卒業制作の映画撮影で山上からの俯瞰カットを求めて迷い込んだことから始まる。彼らが偶然見つけた細道を進むと「あと30メートル」と書かれたドラム缶を発見した。もう少し進むとまたドラム缶があって「あと20メートル」と書かれている。「15メートル」、「10メートル」そしてついには「終点」に到着した。そこは山の頂上であり、赤い屋根の大きな建物が鎮座していた。
 それから40年もの間、中山市朗自身も幾度となくその場を訪れ続けているが、行くたびごとに新たな発見・現象があり、伝説が刷新され続けている。現代日本でこれほどまでに不可思議な出来事が起こる場所というのは他に類を見ない。オカルト的想像力にとっては、まさに至宝であり、オカルト世界遺産に登録すべき場所である。とにかく謎が多く、そのため、いかようにも解釈可能な話である。これはれっきとした山の怪談であり、一方で、UFO関連の話でもある。また、闇社会の関与を連想させるような箇所も見受けられ、とにかく一元的に解釈するのが難しい。むしろ、単純な解釈を拒むところにこそ、この怪談の本質があるのかもしれない。

2.存在意義のわからない牛舎

 中山らが見つけた赤い建物は牛舎であった。今もその場所にあるが、ただし、牛はいない。中山が1982年に初めて訪れた際には、2棟の牛舎があり、一度も使われた形跡を感じなかったという。鉄柵は新しく、藁屑ひとつ落ちていない。無論牛の糞などもない状態だった。廃業したにしてもその綺麗さが逆に違和感を感じさせる。
 だが、3年後の1985年には実際に牧場として営業されており、その時には小学生がキャンプ施設として利用することもできていた。たまたま牧場近辺の小学校に教師として赴任していた中山の友人(この方は82年時に牧場を発見したメンバーの一人)の伝手もあって、牧場の従業員らと話をする機会に恵まれている。夏であったにもかかわらず牛は放牧されておらず、中山が従業員に牛の居場所を尋ねると、牛舎の中に閉じ込めているとの回答であった。鳴き声や気配は一切感じられなかったらしい。多分この時も本当は牛はいなかったと思われる。
 その後、北野誠が1988年5月に訪れた時には、再び営業停止状態であったが、同年7月に北野が二度目の訪問をした際には営業されており、従業員から歓迎されて、牧場内を見て回ることに成功している。その時には、広大な敷地に従業員2名、牛が4〜5頭いるのみであった。何となく牧場としての体裁を保ってはいるようだが、牧場をちゃんと経営しているとは到底言えるような状態ではなかった。あまりにも不自然すぎるのだ。
 現在では牧場内に掲示されているいくつかのカレンダーが、全て1998年で止まっていることから、そこに人がいたのは長く見積もってもその年の5月か6月辺りだろうということになっている。にもかかわらず、その後も第3の牛舎や新しい建物が増設されており、82年当時とは全く異なる配置に変化し続けている。誰にも気づかれないうちに人の手が入っているのは間違いない。また、2008年に山津波で道が塞がれた時も、すぐに道が復旧されていることから、牧場への唯一のルートが完全に閉ざされることを嫌う何者かがいるのは明白である。

3.上がる階段のない2階

 経営実態が不明瞭な牧場というだけでも非常に興味深いが、ここにさらに恐怖の味付けをしているのが、上がる階段のない2階の存在である。もちろん建築法上認められるわけもなく、設計ミスのため登記不可能である。現代において誰が、どんな目的でこのような建物を作る必要があったのだろうか
 中山が初めて訪れた際に見た2階の様子は絶叫ものである。当時は斜面を伝って2階部分の庇に登ることができ、さらに鍵の開いた窓から内部に潜入することができた。L字型の廊下があり、一方は行き止まり(当然下に降りる階段はない)、一方は広さ4畳ほどの和室につながっていたという。和室内には日本人形やキューピー人形など様々な人形が散乱していた。これだけでも震えるのに十分だが、さらにタチが悪いことに、部屋中に隙間なくお札がピン留めされていたのだ。今でこそ、お札は数枚しか残されていないが、いまだに天井にピンの跡が生々しく残っているのを確認することができる(例えば、『北野誠のおまえら行くな』の関西編1の回を参照)。まだ恐怖は終わらない。この和室は襖で隣の部屋とつながっているのだが、その襖に「たすけて」と書かれていた。誰がどう見ても禍々しい目的のために作られた部屋であることは間違いない。
 あろうことか中山はその隣の部屋の様子まで観察している。そこには、およそ地球上に存在するどんな文字とも異なる不可思議な字が一面に書かれてあった。誰かが適当に書いたものではなく、ある種の法則性が感じられたという。明らかに言語として機能しているものであったと思われる。そして、やはり散乱する人形。その部屋には1冊の医学書とメモ帳も落ちていた。メモ帳には人体図が描かれており、壁と同じ文字で人体のそこかしこに説明をつけている様子だったという。ここからある種の実験を想像するのは容易い。

4.奇妙なトイレ

 もう一つ、山の牧場を彩る重要な要素として奇妙なトイレがある。中山が初めて訪れた82年時点では、トイレの存在は確認できていなかった。多分実際にトイレは設置されていなかったのだろう。この時点で人が滞在することを念頭に置いた建物でなかったことがわかる。付近は獣が出ても全く不思議ではない山林である。夏であればマムシと遭遇する危険は普通にある。その環境下にトイレを設置しないなどということが考えられるだろうか。ここにも設計の悪意が感じられる。
 北野誠が88年に訪れた際には、前述のように従業員が2人いた。その時には、トイレがあったことが確認されているが、そのトイレの数が30個もあったというのだ。しかも男子便器ばかり。場所は牛舎の奥である。従業員たちはキャンプ場として使うからたくさんトイレがあると説明したようだが、この説明がおかしいことはすぐにわかる。キャンプでの使用用途としてならば、なぜ男子トイレだけしかないのか。しかも、それを牛舎の奥に立てているのも解せない。真夜中、わざわざ牛のいる(といっても4〜5頭しかいないが)牛舎を抜けて用を足しにこないと行けないトイレなど不便極まりない。ちなみに牛舎には照明もない。恐ろしいトイレである。北野誠の言うようにトイレという概念を知らないものが作ったとしか思えない。あるいは、ここにも捻じ曲がった悪意を感じる。
 2008年に中山が別の番組で訪れた時には、トイレはさらに様変わりをしていた。12〜13基のドア付きトイレに作り替えられていたという。場所は相変わらず牛舎の奥である。実は、2008年時には女性が住んでいた痕跡が発見されているため、そのために作り替えられたと推察することも可能だが、やはり場所として不適切である。なおかつ、水洗式にもなっていないし、肥溜めも存在しない。つまり、ありはしても使えないのだ。
 以上のように、山の牧場のトイレは何かが決定的に不足しており、何かが決定的に過剰すぎる。そういうものを名付けるとすれば狂気としか言いようがない。しかも、人間生活の根幹である排泄に関わる物をぞんざいに扱っているあたり、底知れぬ不穏さが、いやがおうにも際立って来はしないだろうか。

5.UFO基地としての山の牧場

 これが今のところ山の牧場の真相として最も頻繁に説明されている。逸話としても、UFOや宇宙人による超常現象を示唆するものは多い。前述の地球の言語とは思えない文字もそうだし、その他にも半球状に凹んだ屋根、Ω状に曲げられた鉄柱、完全に仰向けになったブルドーザー、割れた試験管やフラスコの散乱する実験室の存在、事務所内に存在する場違いな巨石(入口の幅より石の方が大きく、搬入方法が不明。しかも片側が真っ平に細工されており、そこにコーヒー皿、茶碗、日本酒などが雑多に置かれているという意味不明さ)なども宇宙人の仕業といった妄想を掻き立てる。そもそも、山の牧場へと続く道は中山らが辿った、未舗装の細道しかないのだ。どうやって、建築に必要な資材を運び込んだのだろう。ヘリなどを使ったと考えられなくもないが、登記できないような建物を作るだけでも費用の無駄であるのに、さらに大きくコストのかかる空輸という手段をとるとは普通は考えられない。第一、ヘリで運ぶ場合にはヘリポートが必須だが、ヘリが停まれるような場所は付近には全く存在しない。だが、実際にそこに建物がある以上、何らかの存在が、莫大な費用をかけて建築したことは疑いようがない。前述の上がる階段のない2階、奇妙なトイレ、資材運搬の謎などを併せて考えると、どうしても地球上で暮らすものの思考回路とは大きく異なる存在を想定せざるを得ない。そう考えない限り、山の牧場につきまとう違和感を上手く説明できる方法はない。
 ところで、山の牧場の存在を抜きにしても、この付近では特にUFO目撃情報が多いことが知られている。興味深いのは、地元の人の間では有名な話のようだが、牧場の存在する山自体が空洞になっているという噂がある。地元の人たちが日役と呼ばれる奉仕作業に従事する際、山に登り雑草を刈るのだが、昼休みにとある場所で四股を踏んで楽しむという。なぜ四股を踏むのかというと、普通とは違い、その山ではズゥーンと山全体が響くのが面白いのだという。これが空洞説の根拠になっていると考えられる。そして、そこからUFO基地という連想に辿り着くのは容易い。
 もう一つ、UFO説の根拠の一つとしてよいと思われる逸話がある。中山が初めて山の牧場を訪れた数ヶ月後、後輩のKという人物が友人とともに牧場を訪れた。その際、2人は宿舎の前に黒いリムジンが停車しているのを目撃している。リムジンが細道を登ってきたということ自体が信じられないことだが、リムジンには誰も乗っていなかったという。その後、牧場を探索しても人の気配はなかった。悲劇が起きたのはその後である。同伴していたKの友人がリムジンの写真を撮影したが、その友人と全く連絡が取れなくなった。最終的に、その友人の家族も含めて全員が行方不明になっていることが判明した。黒いリムジン、写真を撮ると行方不明になる、これらの事実からMIB(メン・イン・ブラック)の関与を疑うのはいささか考え過ぎだろうか。

6.畜魂

 では、UFO基地説で万事うまく説明可能かというと、そうは問屋が卸さないのが山の牧場である。ファンの間で神回と称される『北野誠のおまえら行くな 関西編1、2』では北野誠、中山市朗、西浦和也の3人が山の牧場を訪れた上に、泊まりがけで怪談会を行うという荒技に挑んでいるが、このときに起きた怪現象は、UFO譚というよりは純粋な心霊譚に近い。存在しない整骨院を騙った名刺の発見というのは、UFO譚の一部と捉えられないこともないにせよ、深夜の怪談会中に起きた謎の足音、それに続く、取材陣を襲う謎の強烈な獣臭は心霊現象と捉える以外にない。山の牧場にはおそらく牛を祀っていると思われる「畜魂」と書かれた碑が設置されているが、いかにも獣臭の逸話を鮮やかに説明する建造物として秀逸である。光や臭いが漂うとき、それは霊的にかなり危険水域に達している徴候とされている。取材者の周囲にだけ濃厚に漂う獣臭は鎮魂されない畜生らの怨念が物質化したものだったのか。あるいは、UFO譚に異議を唱える、心霊側からの決意表明であったのかもしれない。

7.山の牧場を楽しむために

① 木原浩勝+中山市朗『新耳袋 第四夜 現代百物語』角川文庫 2003

 この書物なくして山の牧場はなかった。まずは原典とも言えるこの書物で山の牧場を読んでみることをお薦めする。

② オカルトエンタメ大学 伝説の実話怪談『山の牧場』の全貌を中山市朗先生が語ります【新耳袋】
https://www.youtube.com/watch?v=biHZvbuhjII
 中山市朗本人が2時間かけて山の牧場の全貌を解説するという贅沢な動画である。前掲の新耳袋には書かれていなかったその後の話も満載である。

③ 『ムー 2022年7月号』ワン・パブリッシング 2022

 第2特集が「山の牧場 40年目の真実」である。初期から現在までの逸話がほぼ時系列に沿って語られている。MIBの話やGoogle Earthで観察した現在の山の牧場についても言及されており、まだまだ何かあると思わせてくれる。

④ この他にもオカルト解体新書と不思議大百科のコラボ動画などもある。
https://www.youtube.com/watch?v=91tASADhtok&t=0s
【山の牧場】著者の案内で行く『山の牧場』全貌と解明【中山市朗】

https://www.youtube.com/watch?v=YyFAAtE1v8o
不思議大百科さんとのコラボ第2弾【山の牧場】編

祝40周年。今後も50年、60年と不思議な話題を提供してくれることを願っています。

では、次回の0003 B-sideもお楽しみいただければ幸いです。

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