なかがわ幻視

怪を探求する者 twitter https://twitter.com/@oitakwaidan

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マガジン

  • 先従怪始〜怪のA-side⇄B-side〜

    タイトルは「まず怪より始めよ」と読みます。私は無類の怖いもの好きで、ジャンル問わず色んな媒体を渉猟してきました。そこで得た教訓は、怪異譚を起点として私たちは様々に学ぶことができる、ということです。怪異譚は多くのインスピレーションを与えてくれます。それらは単に興味深い話で終わることはなく、必ず何かを考えるよう私を促します。私にとってはいつの頃からか、怪異譚を始まりとして、そこから知識を吸収するという姿勢が基本となっていました。まさに「まず怪より始まる」のです。 このマガジンではまずはA-sideとして、怪を主題とする本や映像作品などを語ります。その後、B-sideとしてそこで得たインスピレーションをもとに、次に手にした作品を語ります。あくまで勝手なインスピレーションですが、想像力のノードがつながる様子の一例としてご一読ください。このマガジンがみなさんにとって怪の始まりとなりますように。

最近の記事

名著探訪 稲川淳二の恐怖がたり 壱

 稲川淳二氏は言わずと知れた怪談界の絶対王者、もはや怪談仙人の域に達しつつある伝説の語り部である。彼にとっては、怪談とは恐怖であると同時に、抒情であり、慕情であり、恋情である。もちろん、当人は怪談を語っているという意識を持っているだろうが、それらは普通一般に考えられている怪談という枠組みだけで捉えることができないものが多い。  稲川翁の著作は、数え上げるとキリがないほどたくさんある。そもそも、稲川翁を語るにおいて、本という枠組みだけで語ろうとするのは甚だ不適当であろう。氏の本

    • 0009 B-side 漫画・百物語

       百物語を冠する書物は山ほどある。百物語という言葉は、今では、怪談の代名詞として流布しており、そのため、怪談本には百物語をタイトルに起用した本を掃いて捨てるほど見つけることができる。その1冊1冊を紹介することには、大きな意味があるが、それはまた、別の機会にとっておくとして、今日はやや趣向を変え、百物語を冠する漫画を取り上げよう。広大な百物語群に分け入る端緒として、漫画は大いにアリである。 1.杉浦日向子の百物語杉浦日向子『百物語』新潮社 1995  杉浦日向子氏といえば、

      • 0009 A-side 百物語の怪談史

        1.百物語とは 百物語という怪談形式がある。自ら参加したことはないとしても、言葉だけは聞いたことがあるという方は多いだろう。何となくのイメージとしては、真っ暗な部屋の中で、数人が車座になって座り、1話ずつ怪談話を披露していく。時刻は夜がいいだろう。あらかじめ蝋燭を百本用意しておき、一話語り終えるごとに、一本ずつ蝋燭を吹き消してゆく。百話語り終えるのは、きっと明け方近くだ。いよいよ最後の一本となった蝋燭が、ふっと吹き消された時、世にも恐ろしい怪異が起こる。まさに「怪を語れば怪至

        • 名著探訪 『心霊ショック』

          朝倉三心『心霊ショック』竹書房 1993 朝倉三心『心霊ショック2』竹書房 1993  竹書房怪談文庫の歴史はここから始まった。歴史の1ページ目を飾った書物は、朝倉三心氏による『心霊ショック』である。タイトルはいかにもわかりやすい。このタイトルを見て、本書を哲学本と間違う読者は絶対にいないだろう。本のタイトルは分かりやすさが一番である。現在の竹書房怪談文庫のタイトルは、捻りが効いている中にも、必ず怪談本とわかる洒落たタイトルばかりだが、これほどド直球なタイトルも、それはそ

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        • 先従怪始〜怪のA-side⇄B-side〜
          21本

        記事

          0008 B-side 東京の怪異を読む

           0008 A-sideでは東京伝説を取り上げた。B-sideでは、さらに多面的に東京に潜む怪異の姿を取り上げよう。色々な角度から怪異を深掘りできる都市。それが東京である。 1.あらゆる街が怖い東京東京怖い街研究会『東京の怖い街 23区と市の怖い話』興陽館 2022  本記事を書こうとしていたら、ちょうどよいタイミングで上梓された。愛葉るび、遠藤マメ、桜木ピコロ、住倉カオス、村田らむ、まにゅ・やまげら、夜馬裕、レイバー佐藤によって構成される東京怖い街研究会が東京23区、市

          0008 B-side 東京の怪異を読む

          0008 A-side 東京伝説

          1.東京とは 言わずと知れた日本の中心都市である。首都機能を備え、政治・経済・文化全ての面において突出している。地質学的にも非常に興味深く、東西に長い土地は西から東へ行くにつれ、山地→台地→低地へと徐々に低くなっていく。台地と低地では地層の構成が全く異なり、台地は関東ローム層に覆われる1万年以上前の地層であるが、低地は数千年前にできた沖積層の土地である。東側こそ人工的な開発がハイペースで進んでいる近未来都市であるものの、西側にはいまだ手付かずの自然がふんだんに残されている。山

          0008 A-side 東京伝説

          0007 B-side 水の怪

           0007 A-sideは海の怪の象徴としての鈴木光司を取り上げた。0007 B-sideでは、広く水にまつわる怪談を紹介しよう。 1.船玉さま加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』角川ホラー文庫 2022 収録  海は不思議な空間だ。特に、夏の海。大勢の人で賑わうそこは、生の活気で満ち溢れている。だが、一方で砂浜に打ち上げられた貝殻や海藻はすでに死んでいる。死の静寂は、はしゃぎ、騒ぐ人間たちのすぐ足元に転がっている。この生と死の混合する境界面の力学によって、恐ろしい怪異が

          0007 B-side 水の怪

          0007 A-side 海の怪あるいは鈴木光司

          1.海あるいは鈴木光司 海——私たち生き物はここから生まれたと考えられている。だから、海というのは私たち人類にとっての母である。生命を育む愛しい母。実際、地球が生命に満ち溢れているのは、海のおかげである。この広大な惑星の、実に70%以上を占めると言われる海、私たちの住む星はほとんど海でできていると言っても過言ではない。それは私たち人間もそうだ。私たちの中には小さな海が広がっている。生命が、海から陸へと生活の拠点を移すことができたのは、海を体内に取り入れることに成功したからに他

          0007 A-side 海の怪あるいは鈴木光司

          0006 B-side 吸血鬼を読む

           吸血鬼といえば、0006 A-side で特集したブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』であることは衆目の一致するところであるが、幸運にも現代に生きる私たちは、今では様々な吸血鬼に関する優れた作品に触れることができる。0006 B-sideでは、ブラム以前の吸血鬼小説から現代を代表するポップ・カルチャーの中の吸血鬼まで、増殖した彼らの姿を見ていこう。 1.ドラキュラ以前の吸血鬼『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』 G・G・バイロン/J・W・ポリドリほか、夏来健

          0006 B-side 吸血鬼を読む

          0006 A-side 吸血鬼ドラキュラ

          血のみが歴史の歯車を回す——マルティン・ルター ウピル、ウプリル、オピル、ウポル、ウプオル、ランピール、ワムピル、ムッロ、ヴゴドラク、モロイイ、ムロニ、ズメウ、プリコリチ、ヴァルコラキ、ノスフェラトゥ、ストリゴイイ、ヴァピール、ヴァンピール、そしてヴァンパイア。これらの言葉は、あるひとつの存在を呼称する名詞である。もちろんすでにお分かりだろう。闇に巣食いし者——吸血鬼である。 1.吸血鬼とは 吸血鬼(ヴァンパイア)あるいはヴァンピリズムに関する記述は、遥か神話の時代から認

          0006 A-side 吸血鬼ドラキュラ

          0005 B-side 怪異と住む

           私たちの住む家、通う会社・学校、病院・市庁舎などの公共機関、それらは本来私たちの生活の基盤であり、安堵や安心を与えてくれるもののはずである。だが、ひとたびそれらが異質の空間へと変貌したとき、私たちの感じる恐怖は計り知れないものとなるだろう。実はそういう現象は日常的に起きている。あなたが、幸運にも、まだそういった状況に遭遇していないだけで、あなたの隣の誰かは、まさに今この瞬間にも恐怖体験の真只中にいるかもしれない。この世には人ならざる何物かも巣食っている。0005 B-sid

          0005 B-side 怪異と住む

          0005 A-side 幽霊物件案内

          1.幽霊物件とは複素数である いきなり数学の話から始めて恐縮(といっても、ごく初歩的なこと)だが、数には実数と虚数があり、それらを統一する概念として複素数がある。数の細かい話はどうでも良いのだが、なぜこんな話から始めたのかというと、今回はまず、幽霊物件、事故物件、心霊スポットという3者をめぐる話をしようと思っているからである。これらの概念は似通っており、一部重なる部分もあるが、微妙に異なっている。まずは語句の意味を明らかにする必要があるだろう。そもそも、幽霊物件という言い方は

          0005 A-side 幽霊物件案内

          0004 B-side 怪異を訪ねる

           わざわざ怪異を訪ねに行く奇特な人々がいるという。怖い場所には、人を惹きつける魅力がある。私には到底そんなことはできないが、怖いもの見たさという気持ちは十分わかる。ただ、それを行うかというと話は別だ。それを行える人と行えない人がいて、私は後者にあたる。これは冒険というもの一般に言えるだろう。私たちの先祖が、遥か南方から新天地を求めて北上しようと決意したとき、おそらくは反対する者もいただろう。一緒に行きたいけれど、どうしても行けなかったという者もいただろう。冒険をできるか、でき

          0004 B-side 怪異を訪ねる

          0004 A-side 日本怪奇名所案内

          1.心霊スポットあるいは怪奇名所 心霊スポットなる名称がいつから用いられるようになったかは不明である。今では、幽霊が出たり、不思議な現象が起きたりすると噂される場所をこのように呼ぶことに異論を唱える者はいないはずだ。だが、少なくとも、1976年時点では、さほど定着した名称ではなかったと考えられる。なぜなら、現在では心霊スポットと称されるであろう場所を紹介した平野威馬雄の名著のタイトルは『日本怪奇名所案内』だからである。怪奇名所というのは、何とも言い得て妙であるが、幽霊の出るよ

          0004 A-side 日本怪奇名所案内

          0003 B-side 山怪・UFO・超芸術

           0003 A-sideでは『山の牧場』を扱った。そこでは『山の牧場』という怪異譚は、山の怪談として捉えることができるし、UFO譚としても捉えることができると述べた。加えて、それは超芸術の側面も持ち合わせていると私は考えている。超芸術とは、赤瀬川原平が提唱した概念であり、簡単に言うと何のために使用するかわからないまま放置されている建築物のことを言う。例えば、Wikipediaに掲載されている以下の写真を見れば、超芸術がどのようなものかすぐにわかるだろう。  牛のいない牛小屋

          0003 B-side 山怪・UFO・超芸術

          0003 A-side 山の牧場

          1.山の牧場とは関西の某所に存在する日本屈指のミステリーゾーン。始まりは当時大学生だった中山市朗ら4人が、卒業制作の映画撮影で山上からの俯瞰カットを求めて迷い込んだことから始まる。彼らが偶然見つけた細道を進むと「あと30メートル」と書かれたドラム缶を発見した。もう少し進むとまたドラム缶があって「あと20メートル」と書かれている。「15メートル」、「10メートル」そしてついには「終点」に到着した。そこは山の頂上であり、赤い屋根の大きな建物が鎮座していた。  それから40年もの間

          0003 A-side 山の牧場