0005 B-side 怪異と住む
私たちの住む家、通う会社・学校、病院・市庁舎などの公共機関、それらは本来私たちの生活の基盤であり、安堵や安心を与えてくれるもののはずである。だが、ひとたびそれらが異質の空間へと変貌したとき、私たちの感じる恐怖は計り知れないものとなるだろう。実はそういう現象は日常的に起きている。あなたが、幸運にも、まだそういった状況に遭遇していないだけで、あなたの隣の誰かは、まさに今この瞬間にも恐怖体験の真只中にいるかもしれない。この世には人ならざる何物かも巣食っている。0005 B-sideでは、土地・物件にまつわる恐怖の作品を紹介しよう。
1.事故物件の代名詞
松原タニシ『事故物件怪談 恐い間取り』二見書房 2018
事故物件という名称が世に広まったのは、松原タニシ氏の功績が極めて大きい。体を張って事故物件に住み続けている。住んだ事故物件の数は10軒以上にのぼるという。それがライフワークになっているとはいえ、尋常な数ではない。よほど精神力が強いのだろう。最初は、某番組の企画の一環として、偶然白羽の矢が立ったのだが、それを自家薬籠中のものとし、1個のかけがえないエンターテインメントにまで昇華したのは、ひとえに氏の努力の賜物である。今や唯一無二の存在感を身に纏っており、事故物件の代名詞と化している。2020年には亀梨和也主演で映画化されており、事故物件はホラーの一ジャンルとしても不動の地位を確立したといえる。
本書では、記念すべき事故物件第1軒目から第5軒目までが紹介されているだけでなく、それに付随するストーリーや愉快でちょっと怖い同居人の話なども収録されている。さらにはタニシ氏が集めた他の事故物件の話や心霊スポットの怪談まで読むことができる。心霊スポット探訪も氏のライフワークのひとつであり、それに関する著作も出版されているので、この本を読み終えた後は、そちら方面に触手を伸ばすのもよいだろう。
私は何と言っても1軒目が好きだ。このあまりにも強烈な事故物件との出会いは、氏のその後の運命を決定づけたように思われる。8階から10階までが違法建築のため閉鎖。1階フロアは全てぶち抜かれ、片面が何故か一面ガラス張りになった駐輪場が存在する。しかも、駐輪場に誰一人自転車を停めていない。入口扉には「警戒区域一覧表」という名の謎の張り紙までしてある。事故物件どころではない。文面だけからでも、建物自体の禍々しさがわかる。初日からオーブが撮影されるというのも本物らしさが感じられる。関係者がみんなひき逃げにあったというエピソードも全く笑えない。
本書とともに読む本として、お薦めしておきたいのが次である。
原案 松原タニシ、宮本ぐみ著『ボクんち事故物件』竹書房 2019
前掲書の漫画版であると単純に要約するのは甚だ不適切である。それほどまでにクオリティが高い。何より絵がカワイイので、怖い本のはずが、読んでいると何故かほっこりとした気分になってくる。にしね・ザ・タイガーや華井二等兵など実在する芸人さんが非常に愛くるしい。私は事故物件専属担当・Oさんのファンである。前掲書にはあまり詳しく書かれていないエピソードもしっかりと書かれており、副読本というよりは、前掲書と共に読むことで、より事故物件を深く味わうことができるだろう。本記事執筆時点(2022年6月)では、既刊3巻なので、すぐに追いつくことができる。夏には4巻が出るようだ。
2.ネットで話題を席巻した不動産ミステリー
雨穴『変な家』飛鳥新社 2021
一見すると何の変哲もない間取りのように見えるが、何かがおかしい。見れば見るほど違和感は増すばかりだ。著者はこの違和感の正体を探るため、設計士に助言を依頼する。そこで設計士が提唱したあまりにも大胆な仮説。その仮説が著者を目眩く不動産ミステリーの沼へと誘うこととなる。初めのうちは、単なるサイコスリラーの1亜系なのかと思ってしまうが、読み進めていくうちに、どうやらそうではないことがわかってくる。途中からは、ある一族に伝わる「左手供養」なる謎めいた儀式が登場し、ここら辺から話は、民俗学的因襲を帯び、一気にオカルト脳が刺激されていく。ミステリーとしても秀逸で、悲劇的な結末の中にも、小さいが温かい家庭の再生を予感させるのだが、最後には、とても嫌な後味の残るもう一つの結末が用意されている。
登場人物の栗原という設計士がなかなかに曲者である。そもそも、事の発端は、この設計士が閃きとして語った、想像するだにおぞましく、胸糞の悪くなるような仮説から始まる。要所要所で間取りを読み解き、その度に、重要な示唆を与える。探偵役の一人のような機能を果たしていると思えるのだが、私は、ひょっとすると、この設計士も事件関係者なのではないかと疑っている。私の仮説が当たっているとすれば、物語は全てこの人物の計画通りに進んだこととなる。そんな空恐ろしいことを考えながら、本書を読んだ。どうか「左手供養」が終わってくれることを心から祈ってやまない。
ちょうどこの本を読んでいた頃、私も診療所を建設する真っ最中だった。週に一度、工程会議という進捗状況についての会議があるのだが、そこで一時期ずっと図面と睨めっこする日々が続いた。その時、図面から確かに多くのことがわかると実感していたので、ものすごく楽しんで読めた。これは誇張でも何でもなく、図面からは本当に人の動きが立ち上がってくるのである。ちなみに、この本で読書感想文を書くよう息子に勧めたが、よかったのだろうか?
3.土地の穢れを描いた傑作
小野不由美『残穢』新潮文庫 2012
怪異は些細な出来事から始まる。その出来事は確かに心霊現象には違いないが、捨て置くことができた気がしないでもない。だが、それは耳障りな時計の音のように、一度気づいてしまうと耳をついて離れない。いや、きっとそうなるように怪異の方から一歩一歩近づいてきていたのかもしれない。おそらく作者と物語の主人公は最初から魅入られていたのだろう。怪異はウイルスと同じである。ある人には呪いを発動させ、またある人はそれに気づくことさえなく一生を終える。そこには私たちがまだ知らないセオリーが存在するのかもしれないが、怪異のもつこのランダムさは余計に恐怖を増殖させる。
今世紀から始まり、前世紀、高度成長期、戦後期、戦前、明治大正期と土地の記憶を遡りながら、作者と主人公は怪異の源流を辿る。土地の記憶を探っていくうちに、物語は途方もない展開を見せ始める。初めのうちは、事故物件のような局所的な怪異譚かと思いきや、事態はどんどん複雑な様相を帯びてくる。最後に辿り着くのは、北九州のとある土地にまつわる忌むべき記憶である。東雅夫、平山夢明、福澤徹三など怪談界を代表する実在の人物たちも登場し、どこまでが現実でどこからが虚構なのか、読者は判然としないまま、作者らとともに怪異の源流を探る冒険へと誘われていく。
これは掘り起こしてはならない怪異である。そのような怪異は実際にある。どんな怪談作家も、必ず一つか二つは持っていると言われている、世に出せない怪異譚。もちろんある程度細部を変えてあるに違いないが、それでも感応性の強い人には障りをもたらす危険性を秘めている。その昔、人の移動がまだ制限的であった頃、穢れは土地に留まっていた。だが、境界のない現在、穢れは人に乗って、あらゆる場所へと伝播していく。世界中どこへでも。
残穢が現代史(特に土地開発史)とともに日本中へ広がっていった過程に注目して読むのもよい。怪異もまた歴史の一部であることがわかる。本書の中では、時事的な事柄に多数触れられているが、日本の有名な事件が実は残穢によってもたらされたものだとしたら……などと想像力を逞しくして読むと、さらに恐怖が倍増する。
4.伝説の家怪談
加藤一『「弩」怖い話2 Home Sweet Home』竹書房 2005
最後は安心・安定の竹書房である。著者が加藤一とくれば、もうこの時点で勝ちは確定なのだが、これは数ある加藤本の中でも、第1級の価値を持つ実話怪談集である。副題のHome Sweet Homeというのが良い。明らかに読者を裏切る気満々の副題。前書きも挑発的である。「買うな」、「読むな」、「手放せ」。本当に著者が書いたのかと目を疑うような言葉が続く。そして、この言葉を目にして、本を手放すような怪談ジャンキーはこの世に存在しない。多くの怪談ジャンキーが嬉々として本書をレジに持っていく姿が目に浮かぶようである。
家にまつわる話が8話収録されている。8話というと怪談文庫に馴染みのある読者は、話数が随分少ないなという印象を受けるかもしれない。読めばすぐわかるが、やや長尺の話ばかりなのである。長尺の話は疑ってかかる、という者が怪談通の中にはいる。これは最終的には好みの問題になるのだが、長い話にはあまりリアリティを感じられないという人たちもいるようだ。私は特にそういった好みはなく、無差別に読み漁るタイプだ。だが、本書を読むときには確かに頭の中で警報が鳴った。内容を疑問視した訳ではない。加藤一の長尺の怪談は「きっとロクなことにならない」と肌で感じ取ったからだ。怪談本を読むにあたり、読んで後悔するなどと思ったことは一度もなかった私だが、このときばかりは、読み始めるのを躊躇した。この本を読むと、もう戻れなくなるかもしれない、という警告が頭の中で鳴った。ページを捲る手がこれほど重く感じた瞬間は後にも先にもない。だが、不幸なことに私はページを捲ってしまった。
1軒目「香津美の実家」を読み終わり、私は自分の感じていた警告が真実になってしまったことを確信した。やはりロクなことにはならなかった。まさに“実話にもほどがある”。
花婿だけに訪れる怪異。しかも悲惨極まりない怪異。何が何だかよくわからない現象が説明もないままに起こり続ける。もちろんこれが実話怪談の醍醐味なのだが、このときばかりは、ちょっとでいいから説明してくれよ!と心の中で叫んだ。不安過ぎて、今にも足元が瓦解し、奈落の底に落ちて行きそうな錯覚にとらわれた。私が初めて本書を読んだのは、真夏日だったのだが、暑さも感じられなくなるほど、心底体が冷え切ったのを覚えている。
案の定、続いている怪異だ。しかも連鎖する。ほらやっぱりロクなことにはならなかった。しかも、読者であるこちら側にも霊障を起こしかねないほどの迫力がある。これはまずいと思った私は、速攻で何冊かを買い込み、友人にプレゼントした。もちろん、自己保身のためである。このような怪異は分散させるに限るのだ。そして、多分、この伝説の家怪談は、今も密かに増殖を続けていることだろう。あし、あし、あし、あし……。
お読みいただきありがとうございました。次回は、0006 A-side 吸血鬼ドラキュラです。