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“忘れる” が 怖い
私が初めて忘れることが怖いと思ったのは小学5年生のことだった。
同じクラスの友達が引っ越すことになったのだ。6年生になるときはクラス替えがないけど、その子だけがいないんだ。これからは一緒にこの校庭で、教室で、公園で毎日遊ぶことがないんだ、と愕然とした。
初めて、当たり前が終わるということを実感した気がする。
19歳になった今、友達が引っ越すというのは、そう珍しい話ではない。逆に友達の引っ越し、転校を経験していない人の方が少ないのでは?とも思う。
だから、私の経験した友達の転校も、一般的に見たら普通のことかもしれない。
だけど私にとっては違った
衝撃だったのだ。ものすごいことだった。私はその友達がだいすきだったし、みんなで遊ぶのもだいすきだった。
それが終わってしまうのか。
このまま私たちは別々の地で大人になっていくのか。
こんなに楽しかったこともいつの間にか忘れてしまうのか。
夜もひとりでベットで泣いてました。懐かしいですね。
私は小学3年生くらいから日記をつけていたのですが、それは単に “日記” という響きが好きだったからでした。ちょっと夢があるじゃないですか。日記。
そう、友達との別れがきっかけで、日記を書く目的が変わったのです。
覚えていたいから
でもそれは裏を返すと、
忘れるのが怖いから
例えば今年1番笑ったことはなに?と聞かれるとなんとなく覚えているような気がしますね。そうでない方もいるでしょう(ちなみに私が今年1番笑ったのは、はいだしょうこお姉さんのスプーの絵描き歌です)。
どでかい笑いのことは確かに覚えているかもしれないけど、本当にしょうもない、くだらない理由で笑ったことを忘れてしまっているのはなんだか、少し悲しくないですか?
私は悲しい。
悲しいし、なんだか取り返しのつかないことをしてしまった気がして怖くなります。
そんな風に楽しいことも、辛いことも、自分が経験して、確かに感じたことなのに、思い出せなくなってしまうのが寂しい気がして、わたしはずっと日記を書いています。
受験生になってから日記に割く時間は本当にゼロに等しくなってしまっているけど、逆に感じることは増えています。
そうゆうことも忘れずに、自分の手の届くところに置いておきたくて、わたしは日記とかnoteを書いています。
別に作家を目指しているわけでもない。
これが仕事につながる訳でもない。
それでも書いているのはやっぱり、覚えていたいからだよね。
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