一人の孤独と二人の孤独について

どーもー!アラフォー、孤独のオーソリティです!
・・・と言っても、私もずっと孤独ってわけじゃなくて、孤独を感じる瞬間が人生の中でマラソンの給水ポイントのようにあるわけで。

じゃあ、どんな時に孤独を感じるのか。なぜそう思ってしまうのか?そうなった時の心の変化について。
徒然なるままに日、くらし心に移りゆくよしなし事をこそはかとなく
noteに書きなぐっていきます!お付き合いくだされ!

タイトルからいきなり前後してしまうけれども、二人でいる時の孤独についての考察からまずお伝えします。

Hey!皆さん!二人でいる時に、孤独って感じたことありますか・・?

愛し、愛され、お互いの欠点も分かりつつ、そんな時も愛おしい!なんて思って、お互いの幼少期の写真を見てテレテレしたり。例えば無慈悲に正確な美味しさランキングで測ったとしたら、世界ランキング5万位ぐらいの料理を世界一美味しい!なんてリップサービスをした二人がいたとして。

一緒に住んで、同じご飯を食べて、同じ水を飲んで、同じベッドで寝て。こんなに分かり合えた二人・・が、いたはずなのに。

相手が何を考えているか、理解できない。自分が期待するようにまったく動いてくれない。私が愛した人と、別の人のような。他人のような。

想像も推測も出来ないモンスターになってしまったら。
私は、パートナーをそう感じたことがあります。

今思い返すと、この時の孤独感って、私には、たまらなかった。

自分もコントロールできない人間が相手に期待するなんておこがましいこと、なんだけど。

それでも、私はなんでも鑑定団の、「いい仕事してますね~」っていう鑑定士ぐらい、人間の目利きが出来ると思ってたわけ。
恐ろしいことに、私って、自分のことを客観的に見る目が絶望的になかったの。

自分が何を考えているかも分からないのに、相手のことも当然分かるわけがない。つまり、二人でいる時の孤独っていうより、客観視できていない、お互いに見誤っているから、感じる孤独だった

今、一人で暮らして誰とも付き合っていないけど、誰も私をがっかりさせないの。期待もしていないんだけど笑

誰も、は、自分も含めてなんだけど。私も私にがっかりしていないんだよね。

恋愛している時は、相手にコントロール権を委ねていたから、相手の期待に添えられない自分を責めて、自分で自分を許せなかった。

じゃあ、なぜ許せないような人といたのか?それは・・・

一人になることは、二人でいた時にすごく恐怖だったから。
寂しいんじゃないか、とか、一人で時間をどう過ごせば良いか分からない、パニック。

けれど一人になってみて、二人でいた時より、出来損ないの、ダメな自分を許しているし、愛着が持ててるんだよね。

私が考えていた、予測していた寂しいか?とか、暇になるんじゃないか?って予測は、半分は合っていた。

けれど、時間がたつと、その予測が心を苦しめるよりも、相手のリアクションがないからこそ、自分の確立にもつながったし、「一人だから孤独になるの当たり前だよね!」って自分への納得にもつながった。

一人の孤独は許せるが、二人の孤独はつらい。

そう思った実体験のお話でした。

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