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「結婚の奴」をよんだ(200509)

日記は一日の終わりにあったことを全部書くという謎の思い込みをしていたけれど、別に思ったように書けばよいのだと落ち着いた。こういう謎の自分ルール(無意識)によく苦しめられているなと最近きづいたり。

能町みね子「結婚の奴」を読み終えました。出たときからわかってた。わかってたけど、まだだなー、まだ読めないなーと思って今、やっぱり面白かった。ぜひ読んだら感想を聞いてほしい。買って。

私がこの本を読む前に知っていた情報:Twitterのうわさで、結婚キャンペーンについては何となく知っていた。雨宮まみさんについての文章をどこかで目にしていた。


今日は、阿部謹也著作集7『「世間」とは何か』を途中で投げ出して、石川晃弘「くらしのなかの社会主義」をそこそこに読んで、何十年も変わらない人の本質と、その中で変わってきた社会の在り方を考えていたら、急に、ほんと急に「結婚」てもう今の需要にぜんぜんあってないよな、と思ってしまった。そしたらもう、アレを読まないとだめだ。今だな。と思い立って、そのまま本屋にいきました。在庫あってよかった。積まれていた、売れているな。

わかってた、わかってたけど、思ったとおりやっぱり面白かった。

能町さんの作品は初めてで、実は彼女の気質に、自分に近いものを感じていて、だからちょっと避けていたところもある。でも、ずっとずっと真面目で誠実な人だった。近いとか何を言っているんだか、ごめんなさい。

今回読んで、私の中に能町みね子ができあがってしまった。これからはもう、折に触れて私の中のみね子が喋りだしてしまうだろうな、悔しいな、そして、好きだな。

自身で書いているけれど

私くらいの世代では、自分の懊悩、コンプレックス、卑屈さなどをまる出しにして作品に書き記し、優しさと表裏一体となっている情けなさをあらわにすることで、結果としてそれが読者の支えになるというタイプ      -「結婚の奴」”グータンヌーボ”より-

これにつきる。

この本には、たくさんの私がいた。一人暮らしの部屋で大学生の友人と話している時のわたし。社会に出てしばらくて急に近づいてきた「結婚」をみるわたし。働く女につらくなるわたし。フェミニストを遠くからみたいわたし。「世間」におびえるわたし。能町さんがぐっと向き合って、あがいて、模索していく様子は、私でないのに私のようだった。

”カプリチョーザ”のぬるっとした感じが好きだ。ぬるっとしてるのにさらっと読める。彼女の感覚で書かれている、とはっきりわかるのに、自分の感覚で読める、あの文章は、なんなんだ。好きだ。

”サダハルアオキ”で、彼女の言葉で言う「逆ツボにハマ」ってしまって、ちょっと感情が大変なことになった。彼女のいうところの「真の最底辺ではない女性」であるわたしは、もっとうまくやるべきなんじゃないかという思い。(自分が最低なことを言っているのは分かっているが、そう思ってしまった)

こんなにメタメタにされたのに、”ストロングゼロ”でまんまと希望をもたされ、しばらくしたら逆ツボも昇華され、今はさわやかな気持ちに落ち着いた。

こうやって真摯に、誠実に、生きる事とむきあっている人がいる、わたしだって生きてやる。「とてもすばらしい」になるよ。


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