「蝉」
今日は夏だった
かなり夏だった
夕方、帰る頃
クリーム色の雲の波が
二十階のマンションに
襲いかかっていた
今日は夏だった 暑かった
セミがたくさん入った虫かご
びびびび!
と言う
セミたちがぶつかりあって
びびびびび!としばらく言って
静かになって
またなにかの振動を受けると
びびびびび!としばらく言う
こわい
セミがぶつかり合うの
こわい
死ぬんじゃないだろうか
こわい
セミは案外死ななくて
それもこわい
死ぬならはやく死んでほしい
そんな変なことを考えているうちに
セミ、持つことになった
「どこをもてばいいの」と半泣きで言うと
教えてくれる
「つぶれちゃわんかな」と情けなく言うと
励ましてくれる
「あ、あ、これ、これでいいのかな」
あなたはもう次のセミを取りに行っている
手に持ったセミは真っ黒な目をしていて
何を見ているのか
何を思っているのか
私の手は熱くないか
力は強くないか
怖くないか
恐ろしくないか
どんな気持ちなんだか
なにもわからない
とりあえずセミは静かにしている
かたい
なんだかプラスチックのようだ
節!ってかんじがする
う、いきなり逃げ出して飛んだらどうしよう
私の顔や腕や胸に当たって
つぶれてしまったらこわい
死んでしまったらこわい
セミは私に持たれたくらいでは死ななかった
案外生きていた
さすが、外に骨なるものを持つ生物
その見事な、生物としての美しさ
と、外骨格の硬さに甘えてどこにもかしこにもぶつかる愚かさ
やめてよう
やっぱこわい
私がセミをいつまでも怖がっていると
あなたはやがてやわらかなスズメガをつかまえてきて ぱたぱたと羽根を動かすそれをさして
「これなら怖くないか」
と聞いて
「うん、うん」
と答える私を満足そうに見つめた
するとあなたは
「つかまえてごらん」
と部屋の中に放って、スズメガは部屋の隅でぱたぱたと飛び上がっている 私は
「あ、でも怖い、やっぱり怖い」
怖気づきながらも、ガラス窓にぶつかるスズメガを手の中におさめる 羽根を引きちぎってしまったらどうしよう どうしよう…
大きな黒い目とふわふわとした胸、竜のひげのような金色の触覚を持つそれは、私の手の中で落ち着いた そのあとには私の手を、6本の足を器用に動かして昇ってくる
「わ、わ!たすけて!のぼってくる!」
と焦る私を あなたは少し笑いながら見ていた
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