緊張しなくても大丈夫でした
緊張しつつ、駅へ向かうことにした。多分早めに着いちゃうけど、家にいるよりいいや。
何度も鞄と服装と鏡を確認して、外へ出た。
最寄駅へは、公園を通っていくのが近い。平日の朝だが、多くの人とすれ違う。バドミントンで遊ぶ人、ジョギングする人、犬の散歩をする人、自分の散歩をする人。年齢層は高く、僕の気持ちは落ち着いてくる。
野球場の横の、ギリギリ桜が散りきっていない並木の下を歩く。賑やかに野球をする人たちを見る。あのボールが飛んできて、自分の頭に当たる想像をしつつ、通り過ぎる。池の周りの遊歩道に入ると、後ろから「セカンド!」と聞こえた。えーと、セカンドは…「ファースト」、「セカンド」、「サード」だから、内野だ。セカンドとサードの間にもう一つあるんだっけ。なんだっけ。
池は工事中で、水が抜かれている。工事は4月30日まで、と書かれている。5月には、本来の姿が見られるらしい。泥の上に葦が、墓標のように乱立している。
人間は考える葦である。結局僕は、葦のことを何にも知らない。
犬をたくさん見る。僕が犬を見ると、犬もこっちを見ている。犬には見られても緊張しないのはなぜだろうか。この問題についてはとりあえず、犬は僕の陰口をいわない、という原因に帰属させておくことにした。茶色と黒が混じった小さい犬。茶の巻毛の犬。ベージュ色の大きな犬。
遊歩道も終わりかけている。遠くの地平線に描かれた絵のような、舛花色の山を見て、「昔はあそこが世界の果てだったんだろうな」といつも考えることを思う。池の向こう側の草原や、背の高い松や、木をながめる。
遠いものに焦点を合わせると、気分がいいな。近い場所しか目に入らない狭い部屋では、気分が切り替わらないのも無理はないよなと、納得した。
駅に着く。階段を登る。髪の毛を手櫛で整える。ちらほらとスーツ姿の若者を見る。僕はまた少し緊張しつつ、電車を待った。大丈夫、ほぼ年下か同年代だから。センター試験の過去問の話通じる人たちだから、と気分を落ち着かせて(無論、落ち着くわけはないのだが)、電車を待った。
乗り換えの駅。ジャケットをはためかせて階段を登る名も知らない彼の、センターベントから白い糸が伸びている。おろしたてのスーツのしつけ糸。春がそこにあるな。
電車の窓から見える景色に、高い建物が多く登場するようになってきた。ああ、街路に植えられた窮屈そうな木じゃなくて、枝葉を伸ばす木が見たい。知らない都会は怖い。
鶴舞線の水色が恋しい。
30分の入学式のために、往復2時間。
駅から出て大きな建物の間を歩く。僕を抜かしていったのは、ワイヤレスイヤホンをして、手ぶらで堂々と歩く、おそらく同じ会場に行くであろう紺スーツの男性。君はハンカチやマスクの予備やワイヤレスイヤホンのケースをどこに入れてるんですか!もらった書類はどこにしまうんですか!と巨大なお世話をやきつつ、同時にそのスマートさを羨む。僕の鞄が重みを増した。
ああ、近くに川が流れていて、助かった。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を思い出す。川は良い。いつか、川から何かを学ぼう。
信号待ち。将棋の藤井さんみたいな髪型をした男性の横に立つ。ふんわりとした前髪。ふわふわ。この人のスーツには細かなドットが入っている。なぜ僕は大事な人や場所を置いて、ここでまた一人なんだろうかと思う。そうだ。自分自身の融合と調和のためだった。僕が僕を尊重できるために、じっくりと時間をかける。
会場に到着し、5階へ上がる。そこまで大きくもない会場で、開会を待つ。確実に暇になると踏んで、「ギリシア神話を知っていますか」を持ってきた。閉式してからは近くの大阪市立科学館に行こうかと投影スケジュールを確認したが、まだ学生証を持っていないため、今度また来ることにした。
既にお腹が空いてきた。さっさと帰って着替えて、夜ご飯にする鶏肉を解凍している間にうどんでも茹でて卵でとじて、食べてやる。
今はもう緊張はなくなって、木や川や花を見ているような気持ちである。