雨に降られた
2年前の今頃のやつ発掘
雨に降られた
夜の自転車 雨の街
あの人ってどーしてあんな風に僕を見るんだろうね
きっとこんな風にあんな風に
思われてる
こんな風に雨のなかにいると
私に付着した雨の粒や水の分子が
私と外の世界との境界をぼやけさせていくね
赤信号で止まる
自転車のギアが濡れて可哀想だとふと思う
濡れて冷たくなった手を服の内側で拭いて
携帯を鞄の奥の奥に入れ直す
心配だな ほっといたら死ぬんじゃないか
ほっといたら死ぬかもしれない
ほっといても基本、案外
人って丈夫なところもあるんだけどさ
お節介と言われても、ほっときたくない時もある
それは僕の不安なんだけど
不安を不安のままにしておけない
結局今の僕の生き方は、不安を安心にする時の
ほっとした感覚を得るために浪費されているだけなんだよな
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夜7時でも明るい 地下鉄の出口、じめっとした空気と変に明るい雲
人をほっておけるようになってきた
手放す手放すイメージで
今ここにしかない僕の2つの目が、目の前の人しか見ていない、そんな視野狭窄に気づいて認めて目を閉じる
しかし僕は「そういうこともあるのね」と言うことはできるけど心のうちでは「ああ今必要ないのね」「そしていつ必要になるかもわかんないけど次に必要になった時に相手できるように準備しておかなきゃいけないのね」「この間僕はほったらかしで、傷ついてなくちゃいけないのね」なんて自分のことばっかり考えては恨みっぽく他罰的になってるので、人をほっておくことは、人にほっておかれることで、同時に人を恨むことになってくる
やっぱ結局ちょっとは恨むわけよ
「ほっとけないよ!」って言いながらほっとかれたい人に干渉し続けるのと、ほっとかれたい人をほっておいて恨むのと、どっちがいいんだろね
人をほっとけないのは僕の不安から
人にほっといてほしくないのは僕の不安から
少しでも自分で抱えてみせろってことなんだよなー
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