「Aという男」

Aという男がいる。この男は自分がお兄さんとは言えない年齢であることを自覚し始めている。そして、若い女というのがいつのまにか少しだけ苦手になっている。それについて考えることも特にないが、もしかすると別に、若い女は元々好きではなかったのかもしれない。Aにとっては、よく頷きよく笑う女は腹の底で何を考えているかわからず、声が大きい女は、なにかの隙をついて非難してくるような気がしてならない。とにかく若い女に泣かれたらきまりが悪くなるし、若い女になにかとつつかれると居心地が悪くなる。若い女は、特に何にも疑問を持たずに過ごしていてくれればいい、教育係にでもなったらサイアクで、蜂の巣をつつくような真似はまっぴらだと思っている。Aはそんな男である。


Bという女がいる。Bは思い出していた。
それは彼女が小さい頃、おそらくは小学校低学年くらいの頃の出来事である。授業と授業の間の休憩中だった。クラスメイトの何人かが集まって「母親への手紙」を書いていた。おそらくその中にBの友達もいたのだろう、Bもそれに興味をもって、仲良しのハナちゃんとカノンちゃんの間に挟まって座った。隣のハナちゃんは「ママいつもありがとう」と書いていたし、カノンちゃんはそれがママかなにかわからないにしても、素敵な絵を描いていた。Bは進捗を見て、2人の手紙を羨ましく思った。2人を見ていると、とにかく「ママ」に感謝を伝えようとしていることがわかったので、雑多にマーカーが入れられている箱から、ピンクとか緑とか、茶色とかオレンジとか、色々と出してみては「マ」と書こうとした。Bは「ア」と「マ」の書き分けをできるようになった頃だったので、「アじゃないやつ」を書こう、とペンを走らせようとした。するとペンの先が紙にひっかかり、その部分だけインクが濃くついて、そのまま不恰好な「マ」ができた。この不恰好な「マ」を見たBは、おかしいなと思って、じっとそれを見た。そして、そうだ、わたしにはママがいないんだったと思った。ママへの手紙を書いたとして、どこに届けられるんだろう? それはBにとって、至極純粋な疑問だった。


思春期真っ只中のCにとって、新しくできた彼氏はなによりも優先すべき存在である。Cはまさに今をときめく女子であり、フツーの日常会話において「いかんせん」「果たして」「明鏡止水」なんていう言葉を使うことはない。そんなことはさておいても、Cは、愛すべき彼が依存体質であることを、付き合う前から知っていた。彼は、真面目で誠実で適応的である。人と冗談を言い合うこともできるがそれで人を不快にさせることはない。つまりはよくできた、関わりやすい人間であり、周りから自然と求められる人間である。そんな彼は、一度依存モードに入ると、心の芯から「それがないと生きていけない」人間になってしまう。とはいえ適応的な人格や自信を持ち合わせているが故に、その依存的な資質をどうにか抑えようと苦悩し、日常的な場面では仮面をつけて生きることになる。つまりは、彼は、社会的な場面において、自立しているフリをすることに非常に長けている。また、彼には年に数回、自分がCに依存していることを意識するタイミングがある。彼はその時期には罪悪感と不安を強く抱きつつも、乳児のように声をあげることもできず、ただベッドの上でうずくまってめそめそと泣く。Cはうめく彼を見て、彼のそういう部分が、Cのもともと欠けている部分を埋めてくれることを認識する。そして徐に瞬きをし、コーヒーを入れてきてベッドに腰掛け、そぼ濡れる枕に顔を埋める彼の情けない姿と、どうしようもなくそれに慰められる自身の傷を眺める。彼はしばらくするとぼんやりとした顔で起きあがり「君は僕が自分で立ち上がるのを待っててくれる、強い人だ。今までにそんな人はいなかった。きっと今までの人は、僕の不安を抱えきれなくて、自己中心的に癒したいだけの人だったんだ。いつもありがとう、こんな僕だけど側にいてほしい…」と勝手な解釈をして、涙ながら縋ってくるのである。







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