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へんなはなし

2024年の4〜5月で病み散らかして書き散らかしたへんな話をまとめました(僕のために)
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その①

現実を生きていくにはね

自分の内面に目が向きすぎる時、そこから一時的に目を離すことが大事だなーと思うよ

私が現実を生きてる時、生きられてる時、私は自分の内面のことを忘れておりますし


もう少し具体的に言うと、家で恋人と電話した夜に少し怒って寝て、朝ごはんも喉を通らねえなと鞄を引っ掴んで玄関を出て、職場に行くと忘れている

切り替えているという言い方もできると思うが、私の場合は「忘れている」がしっくり来る

例えば現実場面で昨日の記憶を思い出したとしても、恋人と電話で言い合って怒ったんだ、とその事実は覚えてるんだけど、

実際「その時すごく腹が立ったんじゃない?」と聞かれると黙ってしまう

私は腹が立っていたはずなんだけど、なんか他人事のようだな というより、本当に腹が立っていたのか?マジで?その時の感覚は、全然思い出せない それが、一般的な切り替えよりかはもっと、根本から切り替わっているような、自分そのものが違う人間のような感じがする

もし根気強く、順序立てて話を聞いてくれて、すぐに覆い隠さないようにしてくれる、親切で自律できている友人がいたとしたら、私はゆっくり昨日の自分を思い出して、いや思い出すというよりかは、昨日の自分に還って、感情を表現できるかもしれない 多分そこでは、やっと自分に戻れた、と思うかもしれない

そう考えると、私が現実を生きている時(職場にいる時、友達と過ごしている時、家族といる時、店員さんとやりとりしている時…)は、違う人間をやっているんだと思う 自分の身体は一緒だけど性格が違う、入れ物は一緒だけど、中身が違う…そして、中身自体にその意識はあんまりなくて、入れ物に入っている時はそれが確かだと思っている、それぞれの性格ごとに

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その②

僕にとって切り替えってどんなもんなのか考えてた 昨日の夜の布団の中で
どんな状態だったか?説明してみる

簡単に言えば
「は〜嫌だ…」
厳密に言おうとすれば
「これ僕の原始的で未熟な、叶いもしないファンタジー的な期待のせいで起こったインシデントで、相手が悪いと思いたい自分もいるけどやっぱそこまで思えないな」と距離を置こうと考えつつも主観的には怒りの中に埋もれている、
みたいな感じで、
眠れねーよと思いつつも体は横たわっていて怠い、そんな状態だった

ふと夢のようなイメージが浮かんできた
メガネをかけてる女性のイラスト(黒いペンで簡単に描かれていた)が、私の怒りやモヤモヤとした気分を全て請け負って、凹んでいるイメージだった

あ、そうかこの、僕には抱えきれない気分と感情を、この人に任せたらいいのか、と思った
そしたらこの人だけが凹んでくれるもんな
と思った

その絵のイメージを、1人の人格を持った存在と考え始める自分もいた、すると、その絵は色がついて動き始めた

そんで、危ないと思った
これはアカンと思った

この人の存在を認めたら確かに楽にはなるかもしれない、楽になってしまいそうと思うのが怖い実感だった

もちろん朦朧とした意識の中で思考している、半ば夢のような話ではあるけど、実感は、手応えがあった

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その③

なんかわかりやすく言ったらさ

僕は注意されたときに「怒られた」と感じやすい人間だけど、それも自分でわかってるから「これは怒られた訳じゃないから、注意だから」と言い聞かせて「そう、これは注意だから、大丈夫、次に活かそう」と思うわけで、

「次に活かそう」が覆い隠しているのは
「自分の行為が肯定されなかったショック」
であって

本来、行為が肯定されなくてショックを受ける人間のはずなので、それを見ないふりしてるとどこかズレた心の状態になる

いわゆる頑張りすぎて心壊れちゃう、は私の場合これなのかもしれないなと思った

「注意された、次に活かそう」
と意識的に思っているわけだが
その下には
「怒られた、悲しい恥ずかしい」
があるわけ

こう思う自分は存在してるとは思うんだけど、注意してくる外部に対して「うるせえ黙ってろ」と跳ね返す力は、ひとつもない 言われたら言われっぱなし 普通に家で泣いてる 周りには「殴り返せ!」と言ってくれる人は多いので、僕は殴り返す力を持ってないんだなあと思う もともとないのかなあ

これを僕の先生は、「攻撃したらお母さんが2度と立ち上がってこないトラウマのせい」と勝手に呼んでくる わかる

この、人を本気で(精神的に)殴ったら2度と立ち上がってこずにそのまま死んじゃうんじゃないか(見捨てられるんじゃないか)とかいう、自分の攻撃性に対する信頼感?と、他人に対する不信感?が僕を形作ってはいる 我ながら、なかなかしっくりくる解釈

だから攻撃も、衝動的に、コントロールできない!っていうレベルで出ちゃったら(怒りって一般的にそういうもんだと思うんだけど)スゲ〜怖くなる あとで不安になって自分が壊れそうになる なので相手に怒りが伝わらないように、自分でも生じさせないようなあり方をしている、極端に

だから、関係性を維持したまま攻撃性をあんまり出したことないというか、関係性を維持しないぞ(コイツとは縁を切るぞ)と決めたあとなら出せるというかだから怒る時ものすごい泣いちゃうんだよなー僕

ていうより、泣いててふと「あれ僕怒ってる!?」って怒りに気づくんだよな そこでやっと「腹立つなあ〜」っていう言葉が実体を持つというか…

そういう切なくて不器用なやり方で生きているんだけど
そういう僕は側から見たら優しく見えるらしい

優しく見えて、つけこまれていると評する人もいる
優しくするから、ダメ人間を製造すると評する人もいる

わかる

でもそれは副次的なものなので、一旦置いとく
(とはいえ大事なことでもある 搾取されていて不平等感や苦しさを感じているし、優しくし続けなきゃいけない地獄のスパイラルがあり、そこに怒りを感じた方がのちのち幸福ではあるんだろうな、とは思うので…)(長っ)

僕は自分が不安を感じないように、自分を守るために怒りを感じないようにしてるんだと思うけど、ほんとは多分、すごい怒りたい気持ちもあるんだと思う、人間なので

なので自分を否定されて悲しい、という気持ちが意識できたときってわりと「偉いぞ!」と自分を褒めたくなる瞬間なんだけど、それの中には「否定されて悲しい気持ちを飲み込まざるを得なくて悔しい」とかいう怒りみたいなのも沸々してる時があって、その沸々ってなんか、自分の中で想像し得る中で1番怖くて嫌な攻撃性を孕んでて、怖いなーと思う

病気になるか健康になるかのタイミングがあるんだったら、絶対ここと向き合う時だよなーと、思う

そういうのを意識しないために僕がやっている防衛規制の話でもしますか……

やめときますか……

怒りをぶつけても死なない人に会いてえなー

いや、そういう人は案外いると思うの 僕が信頼できないだけなのなので、僕がもし「あれ!?怒りを出しても不安にならない!」と、人との関係性の中で思うことがあるとしたら、それってすごいことだけど、それってめっちゃ難しいことだとも思うよ

わかるー

なみだ

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