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〇キッチン・セラピー/宇野碧

雪玉がふわっとほどけて粉雪に戻ったかのように、
玉ねぎの細やかな粒の白い山に変わっていた。
町田さんはまな板を持ち上げて傾ける。
まな板からすべり台を滑るように、
玉ねぎのかけらたちが鍋に飛び込む。
じゃっと景気の良い音と共に、
鍋からだんだん透明度を増していき、
攻撃するようだった臭気が、
だんだんと角が取れてきて、マイルドになってきた。

カレーの混沌

弾けたクミンから、エキゾチックで鮮烈な香りが立ち上る。
自分を包んでいる膜のようなものが、
一瞬でぱりっと剥がされたような気がした。
目が覚めるほど新鮮なのに、どこか知っている感じがする。
きっとインド料理屋で嗅いだことがあるのだ。
本格的なカレーの中核を成すスパイスなのだろう。

カレーの混沌

挽肉のカレーはつやつやと輝き、
いかにもカリッとしていそうな素揚げのレンコンと
生き生きした緑のクレソン、鮮やかなラズベリー色の断面をした
野菜のスライスがあらわれ、ピンクペッパーが散っている。
カレーを一さじ、口に運ぶ。
玉ねぎやフルーツの甘み、
脳をとろかすようなまろやかな油脂にここちよい塩気、
気配を感じるくらいのかすかな酸味が
全体を引き締めている。
挽肉は粗めでちょうどいい噛み応えがある。
スパイスのニュアンスは一口ごとに変わって食べ飽きない。
きっと、熱い時により香りが立つもの、
冷めるにしたがって徐々に香りが出てくるものの
グラデーションがあるからなのだろうと、
スパイスを炒めていた時の町田さんの説明を思い出し・・・

カレーの混沌

夕食は春山のようなサラダだった。
レタス、ラディッシュ、サラダほうれん草、
水菜、菜の花、スナップエンドウ。
町田さんが小さな畑から収穫してきた野菜たちに、
とろとろの玉ねぎが載っていた。
カレーに使った玉ねぎの残りを、
町田さんがアルミホイルで包んで
たき火でローストしたものだった。
水気たっぷりに甘くて、透明感のあるクリームのようだった。
とりどりの緑に、明るい色がふわりと散りばめられた
「山笑う」と表現されるような春の山サラダ。

カレーの混沌

サラダを盛り付けた大きなプレートには、
町田さん手作りの皮が香ばしいパンと、
自家製のイノシシのベーコンが添えられていた。
パンは何もつける必要がないくらい味わい深く、
キツネ色のかりっとした皮の下からふわりと
ミルキーな小麦の香りが舞い上がった。
ベーコンは力強い燻製香に負けないくらい、
イノシシの肉のうまみが弾けていた。
「踊り食い」という言葉が浮かぶほど生きている感じがする野菜たちは、
パンとベーコンよりさらに大きな印象を残した。

カレーの混沌

上層をひとさじすくう。
半分凍ったカットマンゴーとたっぷりの生クリーム、
南国の香りがするココナッツアイスクリームが、
口の中で冷たく甘い和音を奏でた。

完璧なパフェ

ありとあらゆる趣向をこらした、
いくつもの華やかなパフェたちがずらずらと出てきた。
上に載せるマンゴーひとつ取っても、
無数の選択肢が押し寄せる。
どんなカットにするのか、どんなふうに美しく飾るのか、
フローズンか生か洋酒漬けかコンフィチュールか。
トップを飾るのはコットンキャンディ?
フロランタン?マカロン?
グラノーラ?飴細工?ドライマンゴー?
マンゴーシャーベットにバニラアイス、
ココナッツアイス、それともマンゴーミルクジェラート、
口当たりはしゃりしゃり?なめらか?
香りは強め?控えめ?
楽しい驚きをもたらす仕掛けは、
しゅわしゅわのソーダゼリー?
アイスの中に忍ばせたパウダーソルト?

完璧なパフェ

「ライチの花の蜂蜜、入れてみたい。
マンゴーに合うかわかりませんけど」
「南国の果物には難読で南国で採れる蜂蜜が合うんじゃないですか?」
「そういえばサトウキビは南国ですよね」
「ココナッツと黒糖合いますよね」
「てことは北の国で採れるメープルシロップは
北の果物が合うってことなのかな。」
「確かにメープルシロップとりんごは
相性がよさそうだ。」

完璧なパフェ

私はドラゴンフルーツのシェイクと、
島バナナのチーズケーキを食べていた。
チーズケーキは島バナナの香り高さが閉じ込められていて、
底に敷かれた焦がしバターの味がする生地とよく合った。
ドラゴンフルーツそのものは薄甘いだけで
あまり特徴がない味だけど、
シェイクはレモンでうまく風味付けがしてあり、
紫がかったマゼンタの色合いを
目にするだけで元気が出た。

完璧なパフェ

実君の自家製だという、鹿肉とイノシシの燻製。
一口かじったとたん、美味しいというよりは
「気持ちいい」に近い感覚が体を走った。
血がざわめいて、細胞が騒ぎ出すような、
野山の駆ける動物の肉を食べて湧き立つアドレナリンには、
牛肉や豚肉が起こすそれよりも澄んでいて、
明晰さをもたらすような気すらした。

肉を焼く

練った小麦粉を伸ばしで炭火で焼いた素朴なナンのようなものに、
自家製のピクルスやマヨネーズと共に挟むのが
また最高に美味しかった。
炭火の匂いと燻製香が相まって、
なるほどこのナンだから合うのだと納得した。

肉を焼く

俺はその大皿に、冷蔵庫から薄茶色のピュレを載せ、
平べったく広げていく。
メキシコのピントビーンズのピュレだ。
青ネギを散らし、隣にトルティーヤチップスを盛る。
思った通り、その大皿の彩は、
地味なピューレの色をことのほか引き立てた。
ホワイトアスパラガスが何の意図で持ってきたのかは知らないが、
まるでこの料理のために現れてくれたような皿だと思う。
ひよこ豆のサラダに混ぜ込むため、
豆と一緒に皮ごと茹でたにんにくをひとつずつ、
皮からチューブをしぼるように加えていると・・・

レスト・イン・ビーンズ

エミが一番よく作っていた黒豆で作る
煮込みとスープの中間のような、
南米でよく食べられている料理だ。
にんにくと塩だけを使ったシンプルな味付けのもの、
豚肉と牛肉を一緒に煮込んだもの、
数種類のハーブを入れたもの。
エミの作っていたのは、
豆そのものの味がストレートに伝わってくる料理だった。
しっかりした豆の味の向こうで、
香味野菜やスパイスが、これ以上入れると
豆の味を邪魔してしまうという絶妙なところで
良い仕事しているのが感じられるような味。
崩れかけた豆の、やさしくてなめらかな食感。
食欲がないときでも、するすると体に入っていった。

レスト・イン・ビーンズ

最後に、黒豆のスープと向き合った。
やさしくぼやけた黒。
黒色と呼んで良いのかもわからない、
なんとも表現しがたい黒だった。
煮込んで形をなくした豆が
自然とポタージュ状になっていて、
スプーンですくうとつややかなとろみが
光を宿したように見えた。
黒豆のスープは、キューバでは
「フリホーレス・ネグロス」
もしくはフリホーレスと呼ばれる国民食だ。

レスト・イン・ビーンズ


まだ、食べたことのない料理ばかりだった。
ドラゴンフルーツも、イノシシのベーコンも
フリホーレスも食べてみたくなるような本だったな。



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