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あれから10年後、椎名林檎「林檎博」と私のシンクロニシティ
「どんな時代にも戻れるとしたら、いつに戻りたい?」
たまたま知人の小学生の息子さんにそう尋ねられ、私は考え込んでしまった。
「高校生の頃かな。勉強しかしてなかったから。あと、当時の雑誌とかをもう一度読みたいかな」
しばらく悩んでぼんやりしたままそう言ったら、その子はすかさず、
「僕は80年代にタイムスリップして好きな演劇の初演を観たい!」と宣言したので感服してしまった。
私のタイムスリップ欲は本当にスケールが小さい。でも、どうしても胸のどこかに引っ掛かって取れないのだ。
この冬は、10年前のことを思い出していた。
それは椎名林檎のアルバム「日出処」がリリースされた頃で、私は息子を妊娠中だった。
今でも収録曲の「ありきたりな女」を聴くと、その頃の体調の悪さや不安定さが反芻されてちょっと乗り物酔いみたいな感覚になる。
どれほど強く望もうとも、
どれほど深く祈ろうとも、
もう聴こえない。
あなたの命を聴き取るため、
代わりに失ったわたしのあの素晴らしき世界。
GOODBYE。
ひとり旅に行くことはもう当分ないのかもしれないな……そんなことを思いながら聴いていたあの頃。
当時私は24歳で、今までの「育てられる」「守られる」立場として自分のためだけに生きる自分から、無性に変わりたいと思っていた時期だったのだと思う。
その一方で、自分の好きなものや表現したいもの、仕事ややりたいことは、それまでと地続きでまだまだこれからに広がっていた。
そんな時期、仕事関係の人に「子育て頑張ってね」と言われると、胸が詰まる感じがした。
応援の気持ちで言ってくれていたということは解るのだが、私が男性だったらその人はそういう言葉を選ぶだろうか? 仕事関係者なのだから、応援なら今まで通り仕事のことに触れてほしい、と思ったりした。
同級生に、「もう今までみたいに遊べなくなるね」と言われたこともあった。それも当たり前といえば当たり前なことを何気なく言っただけかもしれず、時間や場所の融通が利かなくなるということだろうが、でも、わざわざそう告げられたことがショックだった。
物理的な条件が変わったとしても、私の気持ちや好きなことはずっと私のものなのに。それをこれからも共有したいのに。今まで大事だったものをこれからも大事にするのはそんなに有り得ないことなのだろうか。
母になることと引き換えに、自分の精神、身体、環境、関わる人もすべて急激に変わってしまうような気がして怖くなって、そのときから私はできるだけ変わらない自分でいようと必死になった。
産後、お母さんになってもぜんぜん変わらないね、とよく言われていたのは、私のファッションやメイクへのこだわりや、仲の良い友達の影響などもあったと思うが、私が変わってしまうことで周りの人が離れていくのを怖れるあまり気を張っていたせいもある。
もしも自分の大事な友達があのときの私のような状態だったら、そんなに気を張らなくても大丈夫だよと伝えたいけれど、私はこの10年間、どんなにつらいときがあっても頑固なまでに自分の道を見失わなかったなと思う。
それは自分が努力してきたというよりは、どんな自分も主人公にしてくれるような歌があったから。
母になることは、世界が狭まることではなくて広がることだと思っていたい。
「最果てが見たい」をライヴで聴いたとき、私がうっすら抱いていたその価値観は間違いじゃないんだと強く思えた。
「(生)林檎博’14 ─年女の逆襲─」でこの曲を聴けたから、私は私のまま、母になる覚悟ができたといってもいい。
生命を超えて
本当の未踏の地へ
涙涸らした心が映す果てを
確かめたい
「ライフステージ」という言葉が、私はあんまり好きじゃない。
人生がパキッと段階に分かれて、上の段にいる人に置いていかれているようなイメージが浮かぶし、ステージが変わったら環境も生き方も人間関係もがらっと入れ替わってしまうような淋しさがある気がして。
椎名林檎のライヴを観ていると、これは人生というステージ、ライフ「の」ステージだ、と思えてくる。
そして年々、共感できる歌が増えていく。
結論から言うと、本当に、母になることは世界が狭まることではなくて広がることだったと思う。
いや、私は身体を張ってそれを証明しようと必死だったところもあるのだろう。
フリーランス夫婦のため息子がなかなか保育園に入れず、子を抱えたまま仕事をした時期も数年間あった。
息子の人生と私の人生は別だから、私は私のやりそびれたことやしたいことを息子に託したり、息子のせいで何かができないと思ってしまうような生き方はしたくない。
今はもう息子も無事に小学生になって、服や靴のサイズも私と変わらなくなりつつあり、私はなんとかいろんな仕事を続けながら自分の好きなものを曲げずに生きることができている。
当初の心配とは裏腹に、そばにいてくれる友達は変わらなかったし、むしろ深まり、多くなったことは救いだ。
産後すぐで行けなかったツアーもあるが、「(生)林檎博'18 ─不惑の余裕─」に行った頃には私はすっかり母になる怖さは忘れ、母としての自分とそれ以外の自分を乗りこなすことに慣れてきていた。
変わらない自分でいようと思っているうちに、本当に変われなくなってしまったのだろうか。
自分の作品として少女の絵を描くことを続けるにつれて、今度は10代の頃からくすぶり続ける感情を無視できなくなってきたのだった。
10代に戻れたら。いつの間にか、そう考えることが増えた。
セーラー服を着ていた頃の私は東京に行きたいということしか考えていなくて、鬱屈とした小さなコミュニティや不安から逃げるようにひたすら勉強していた。
コミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』には、その頃の自分の夢や心情や勉強法、導いてくれた先生たちとのドラマは描いたけれど、まだ家族や社会と自分との関わりを客観視して描けなかったなと思うのが正直なところでもある。
あの10代の頃に置き忘れてきたものが、本当はたくさんあった。もっと友達と向き合いたかった。会いたい人に連絡をとって、謝りたいことは早く素直に謝ったり、いろんな影響を受けることを怖がらずに遊びに行けばよかった。もっと器用に生きやすいほうを選択してくればよかった。東大に入ったことが何になったというんだ。
私の中に、成仏できない少女がずっといる。
コロナ禍に翻弄されているうちに、おめでたい気持ちも何もなくいつの間にか30代に突入した。
世間の混乱を受けて私のライターとしての連載仕事が急にストップしてしまい、外にも出られず希望が見えず煮詰まって一時期だけ適応障害になったりもしたが、その頃に家庭教師の仕事も本格的に始めた。
現実の仕事に必死で取り組むうちに日々は目まぐるしく過ぎていき、まさに「諸行無常」。
2023年にライヴ「椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常」を観に行った頃には、もういくつかの仕事を並行する新しい日常も板についてきていた。
後悔を抱えながらも大人になって、自分の不甲斐なさも遣る瀬なさもそのままに日々をこなす。
そんな生活の中にも幸せな瞬間は確かにあると、「母国情緒」を聴いて思えた。
このときにもまだ少女時代の私は成仏できたとはいえなかった。でも、家族だけでなくいろんな人と関わって、いろんな場所に行くうちに少しずつ、自分の中で何かが変わっていく予感はしていた。
そうして「陽キャ」とか「フッ軽」とか言われるようになったのも、10代の頃の自分には考えられなかった。
あわただしかった2024年の最後の楽しみは、「(生)林檎博'24 ─景気の回復─」だった。
楽しみにしすぎて妄想セットリストまで組んでみたりしたけれど、「景気の回復」というテーマからお祭りやキャバレーのような舞台を思い描いていた予想はぜんぜん当たらなかった。
実際の公演は般若心経が流れる「鶏と蛇と豚」に始まり、煩悩に溢れた人間界と、それを俯瞰する宇宙との対比を感じさせるようなステージが展開されて、私たちも瞬く間に飲み込まれていく。
中盤でREBECCAのカヴァー「MOON」、「ありきたりな女」、「生者の行進」と続けて披露された3曲は、椎名林檎の幅広い表現の中でも母という側面にかなり明確にフォーカスされた一幕だった。
こわしてしまうのは 一瞬でできるから 大切に生きてと 彼女は泣いた
そうか、林檎博'14からちょうど10年経ったのか。気がついたのはこのあたりだ。
思えば母になってから、娘としての自分についても振り返って考えることが多くなった。出産した年と、なぜかこの2024年は殊更そうだった。
安定した生き方をしていない私は親を安心させることはできないのではないか、と思うと居た堪れない気持ちになる。家族であっても別の人間だから、どうしたって分かり合えないこともある。娘としての責任、親としての責任、すべてから自由になってしまいたいと思うときもあるけど、それは不可能だ。
「MOON」を聴きながらそんなことを考えていたら、私は駄目な娘だなあとそわそわしてきて、さらに「ありきたりな女」を聴いたらやっぱり苦しくなってきた。それは歌への評価ではなくて、歌がそれだけ人生の一部として染み付いているということだ。
母になる前にはもう戻れないのだと、10年前この曲を聴いたときには思っていた。
でもね、人間そう単純に割り切れるものじゃないよ。今なら思う。
「ライフステージ」によって人はそう簡単に新しい自分になったりしない。人生のさまざまな局面で分裂したいろんな自分が、衣裳やヘアメイクを変えるように、状況ごと、会う相手ごとにくるくると現れる。
椎名林檎がひとつの公演で七変化するのはお馴染みだが、今回の「景気の回復」では椎名林檎本人に加えてAI、Daoko、中嶋イッキュウ、もも、新しい学校のリーダーズといったゲストアーティストの女性がたくさん登場したのも、今思えば、私を含め女性を自認する人が自分のいろんな側面を投影できる舞台装置になっていたのではないだろうか。
欲深い自分、世知辛い現実を生きる自分、母としての自分──そんな様々な側面を前半で順に開示していき、後半では矛盾を抱えたような様々な自分を一緒くたに受け入れて新たな自由へ誘う、そんなステージが構成されているように思えた。
そして千秋楽のアンコールで、10代の頃から変わらない感情は突然、暴力的なまでの衝撃によって呼び起こされる。
静かに浮かび上がるふたりのシルエット。
混乱したままの私たちに、聴き慣れたドラムスのイントロが殴りかかってくる。
福岡に飛行機で降り立つたびに聴いている曲。
セーラー服姿で歌い出したのは、新しい学校のリーダーズ・SUZUKAだった。
隣には対になるように椎名林檎が立っている。まさかこんな二度とないであろうシーンを、生で目撃する瞬間が訪れるなんて。
「あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね」
それを見ていたら、セーラー服を着て「幸福論」でデビューした頃の椎名林檎と今の椎名林檎が並んでいるようなイメージと重なって、さらに概念としての昔の自分と大人の自分が、今ここに対峙している幻を見ているような気がしてきた。
周りを見ずに勉強して東京に行く、それだけに青春を捧げたセーラー服の私は、0か100か、白か黒かで生きていたのだ。
大人になった私は、人間の気持ちや関係性はもっとグレーで揺れ動くものだと知っている。今回の公演でも、前半の「永遠の不在証明」や「おとなの掟」で歌われたように。
10代に戻ってやり直すことはできない。「正しい街」を歌うSUZUKAの声はそのことを痛烈に感じさせた。
でも間違いなく、あの10代を経て巡り巡って今の自分が出逢えたのが、このステージなのだ。全10公演の中の、たった3分と少しだけの瞬間に立ち会えたという奇跡。
ここにいることが正しくなかったとしても、私は今の自分のまま東京で生きていく。曲が終わる頃にはそう覚悟ができていた。
「正しい街」がライヴで披露されるのは、2008年以来とのことだった。私が上京する前年だ。あんなに戻りたかった2008年。
今もう一度、上京しなおすような気持ちになった。
34歳女性としての自分、母にとっての娘としての自分、息子にとっての母親としての自分、10代の頃から変われない自分、生活や誰かのために仕事をする自分、絵と文章をライフワークとする自分。
いろんな自分が多すぎる。ロールモデルも不在。
どうしてこうなった?と思ったり、矛盾を感じることもあるし、どれかの側面だけを見るとどれかがダメなんじゃないかと思うときもある。
でも、私には危ういバランスで成り立っているその全部が必要なんだ。
「(生)林檎博'24 ─景気の回復─」は、そんな今の自分をすべて投影できるセットリストだった。
人生のどんな出来事も、どんな側面の自分も、同じステージの上に在る。そう思わせてくれるのは、私にとって椎名林檎しかいない。
東京に憧れて福岡を飛び出したから、東京に生きる理想の大人の女性像に私はずっと執着していた。
青文字系雑誌でよく見た原宿に通い、好きなファッションに身を包み、あの頃見ていた雑誌に載っているような人たちに囲まれて、絵や文章の仕事をしている自分。
人は、明確にイメージできたことしか実現できないのだろう。10代の頃、お金をいくら稼ぎたいとか、どんな家に住みたいとか、まったく考えていなかった。だからその点は見事に手探りだけど、知名度や規模はおいておくにしても、それ以外は概ねイメージしていた景色の中にいる。今はそう思えている。
昨年は、理想の世界を現実が超えた、と思えた。雑誌『ユリイカ』嶽本野ばら特集に寄稿できたりしたのも、私にとって大きかった。
そしてかつて思い描いていた理想の景色は、静かに消えていった。
林檎博'24が千秋楽を迎えた翌日。
目が醒めるように唐突に、髪切ろう、と思った。
10代の頃に実現できなかったような、かわいい大人になりたいと私はずっと思っていた。無意識的に、前髪ぱっつんロングヘアはその象徴だったのかもしれない。でも、もうそこにとどまっていなくていいや、と吹っ切れたのだった。
今の自分に似合う、新しい理想を求めていきたい。
そして自分にかかった呪いのようなものが解けた今、次は誰かの呪いを解いて、魔法をかけてみたい。
今ならそれができる気がする。
2024年大晦日、紅白歌合戦での「ほぼ水の泡」を観て、林檎博の復習みたいだな、とひとりで浸りながら、私だけのこの記憶をとどめておくことにした。
2025年元旦
東京にて
大石蘭
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