「すべてがお肉に影響してしまうので」 道の人をたずねる食の旅@サカエヤ編 開催レポート
おいしい学校で2024年5月19日・5月25日に開催した、「ニッポンのいちばん 『道の人』をたずねる食の旅」【サカエヤ編】のイベントレポートをお届けします。
全2回で構成されるこの講義は、5月19日の第1回で駒沢の肉焼きイタリアン「イル・ジョット」でサカエヤの肉を使った肉料理を味わい、5月25日の第2回で実際に滋賀県草津市にある精肉店「サカエヤ」を訪れ、新保吉伸さんの仕事を間近で体感するイベントです。
そもそも、なぜ今回の企画をするに至ったのか。
世の中はどこに行っても、おいしいもので溢れています。おいしくないものに出会うことが難しいぐらいです。食べるのが大好きな僕にとって、うれしいことなのですが、ひとくちに「おいしい」と言ってもさまざまなおいしさがあるように思います。
そのなかでも、僕を捉えて止まないのが、食べたときに黙ってしまうおいしさです。無言のうちに、「生まれてきてよかった…」と喜びを噛みしめるようなおいしさ。それを僕は密かに「ほんとうのおいしさ」と呼んでいます。
僕は「ほんとうのおいしさ」の経験をした際に、その源泉に至るまで探し求めたい衝動に駆られます。その感動の裏にある徹底的な技術者としての修練や、その技術を支える希少な精神性に至るまで、すべてを味わいつくしたい。普段はベールに包まれる、愛すべき変態たちの仕事ぶりにじかに触れ、実際に食べることを通じて感動を生みだす「技術」と「精神」を掘り下げて学ぶ。それがこの講義のメインテーマです。
今回の講義では「ほんとうのおいしさ」を生み出すひとり、精肉店「サカエヤ」の新保さんに日本一の技術と精神を学んでいきます。
「サカエヤの肉を食べて、僕は不幸になりました」
第1回目で訪れたのは、東京・駒沢にある肉焼きイタリアンの名店「イルジョット」。「東京でサカエヤのお肉を食べるなら」必ず名前が挙がる名店のひとつとなっています。
イルジョットの高橋シェフは、炭火焼きの天才と呼ばれる存在。通常の炭火焼きが網の上で焼くのに対し、高橋シェフは炎の中で焼くという大胆な調理スタイルにより、肉の香ばしさを最大限に引き出す肉料理に定評があります。
高橋シェフは、もともと魚料理を専門とする料理人でしたが、あるパーティーでサカエヤの肉に出会ったことをきっかけに方向転換。今では肉料理を主軸に据えた店を運営しています。
イルジョットではじめてサカエヤの肉を食べた参加者からは、
「一口目に感じる肉の旨味や香りは清らか。でも、噛めば噛むほど肉の香りが湧き上がってきます」
と、そのおいしさに驚きの様子。
驚いている参加者の様子を見ながら、今回の講義の案内役である食の文筆家・マッキー牧元さんから印象的な言葉が飛び出します。
「サカエヤの肉を食べて、私は不幸になりました。なぜかというと、今までおいしいと思っていた肉の価値観が変わってしまったんですね。それ以来、新保さんの肉以外はおいしく感じられなくなったんです。新保さんの肉を食べると、喜びとともに不幸にもなるので、みなさんご注意ください」
マッキーさんによると、サカエヤの肉について語るとき欠かせないのが「オートクチュール」という考え方です。新保さんは料理人ひとりひとりのスタイルや料理の特徴を理解し、それに合わせて肉を仕立てます。この緻密な対応こそ、彼の肉が一流の料理人たちから圧倒的に支持される理由のひとつだそうです。
新保さんの仕事観について、長年新保さんを見てきたマッキーさんはこう語ります。
「我々は、肉でも魚でも野菜でも、他の生命を絶つことで自分たちの体を育んでいます。新保さんの仕事ぶりを見ていると、常にそのことを心に刻んでいるように見える。命を食べる尊さを常に肝に命じているからこそ、彼の仕事には誠意がある。昨日まで生きていた牛や豚、鶏のために自分ができることを尽くす責任感。それが、彼の肉の品質にも表れている」
イルジョットでサカエヤの肉を使った特別なコース料理を食べ、「幸福な不幸」を知った参加者一同。そのおいしさの秘密を知るべく、翌週に滋賀県にあるサカエヤを訪れました。
サカエヤに訪問
こちらが滋賀県草津市にある精肉店「サカエヤ」。
サカエヤの店舗を訪れ、まず驚いたのがショーケースの美しさです!
お肉が整然と並び、お肉が美しく見えるように照明が当てられ、ショーケースには霜が一切ついていません。
店頭で出迎えてくださった新保さんは、ショーケースへのこだわりについて以下のように語ってくれました。
「肉の盛り付け方、並べ方もお客さんの視線に立って、いかにおいしそうに見えるか、美しさを考えて盛り付けます。精肉店は肉の仕入れや捌き方にばかりスポットが当たりますが、実はショーケースの陳列こそ精肉店の大切な仕事だと思っています」
その後、サカエヤの裏側にある加工場を特別に見学させていただきました。
こちらはお肉の湿度管理をしている熟成庫。肉の個性に合わせて熟成方法や熟成環境を変える「保存」や「熟成」の仕方もサカエヤの重要な仕事のひとつだそうです。
「牛を育てるのが生産者の仕事なら、僕らの仕事は『肉を育てる』ことです。肉は、品種や血統、餌、育て方である程度の良し悪しが決まりますが、味を左右するのは『手当て』と呼んでいる仕事。熟成や真空パック、冷蔵庫での温度管理など、肉に適した『下処理と保存』を施さないと肉がもつポテンシャルを引き出せません。僕の仕事は肉ごとに適切な『手当て』をしてやることなんです」
また、裏側の加工場でも施設内の清潔さについて驚きの声があがりました。
なんでも、サカエヤでは午前中に一般向けの商品の発送や、40〜50軒のレストラン向けの肉の発送を終えると、そこから従業員が毎日2時間の掃除をするのが日課だそうです。
それもただの掃除ではありません。トイレやエアコンに至るまで、部品をすべて分解して徹底的に掃除するんだそう。
なぜ、そこまで掃除を大切にするのかを新保さんに質問したところ、
「汚れていると嫌じゃないですか。僕がじゃなくて、肉がそう思うでしょう。全員が潔癖症でないと精肉屋の仕事はできません。仕事場の清潔さ、整理整頓など細やかな心遣いが大事やと思ってるんです。そうやないと、全部お肉に影響してしまうんで」
精肉店の仕事というと、肉の目利きや肉のカットなど技術的なことばかり想像していたのですが、新保さんの「すべてがお肉に影響してしまうので」との言葉の通り、日々の掃除からショーケースの陳列に至るまで、あらゆることが肉のおいしさに影響するという視点で仕事に向き合うその姿勢にこそ新保さんの凄みを感じました。
お店での対談
サカエヤを見学したあとは、滋賀県大津市にある「肉とワイン Jinen」で、新保さんとマッキーさんによる対談を聞きながら食事をしました。
基本がどんどん失われている
対談のなかで印象的だったのが、「肉を切る」という技術ひとつをとっても、そこには深いこだわりと職人の技が隠されているということ。
「肉は繊維で構成されているため、一般的には電動スライサーを使ってスライスしますが、これが難しい。スライサーの歯が回転する際に生じる熱が、アクの原因となる肉屑を生み出してしまうんです。だから、機械で切った肉と手切りの肉では、驚くほど味に大きな違いが生まれる。重要なのは、よく手入れされたスライサーと、肉を熟知した職人、このふたつが揃って初めておいしい肉ができるんです」
また、スライスの方法が部位ごとに異なるというのも、見逃せないポイント。牛の右側と左側、背中側と腹側、それぞれの特徴を理解して適切にスライスすることが求められるんだとか。
「例えば、スライス肉は機械で切るため、誰が切っても同じだと思われがちですが、実際にはそうではありません。肉の向きやスライスするタイミング、台への乗せ方、手の温度、スライスのスピード、そして並べ方によって、味わいは大きく変わります。技術と心遣いが、肉の品質に直結するんです」
しかし、こうした知識や技術を持つ職人は年々減少し、業界全体から基本がどんどん失われてつつあるのが現状だそうです。
飼い主を見る
取引先の牧場を選ぶ際の基準として、「飼い主を見る」という興味深いお話がありました。
新保さんがある日、牧場から「餌も育て方も変えていないのに、牛の肉質が変わってしまった」と相談を受けたそうです。
原因を探るため新保さんが牧場を訪れると、たしかに育て方は従来と変わっていない。しかし、新保さんが目をつけたのは牧場主である夫婦の仲が険悪になっていることでした。
新保さんはそのとき、牧場主の精神状態や日々の心遣いが変わると、牛にも何らかの影響が必ず及ぶと直感したそうです。
そのことを牧場主である夫婦に指摘すると、夫婦は話し合いを重ねて関係を修復。すると、不思議なことに肉の味も元に戻ったのだそうです。
牛の健康や肉質を単に飼料や育て方だけで考えることなく、飼い主の心の状態や日々の接し方など、牧場主を含む「環境全体」が影響しているという視点で見つめている新保さんの仕事観が現れているエピソードでした。
「嘘をつかないこと」と「器用すぎないこと」
新保さんは、精肉屋や魚屋といった仕事の社会的地位が低いことに強い問題意識を抱いていました。「大学を卒業して肉屋や魚屋になりたいという若者がいない」という現状に、業界全体の未来への危機感を持ち、若手の育成に力を注いでいるとのことでした。
新保さんが育成において大切にしているのは、技術と精神の両面です。サカエヤでは、技術面として従業員に基礎を繰り返し身につけさせることを徹底しているそうです。
「精肉屋の仕事に向いている人は?」との質問に、新保さんが挙げたのは「嘘をつかないこと」と「器用すぎないこと」という2点。新保さんのこれまでの経験から、器用な人は頭がいいゆえに安易に仕事をアレンジしてしまい、肝心の基礎が失われてしまうケースを度々目にしてきたのだそうです。
新保さんは講義を通じて何度も「自分はまだまだ」と語り、自身の仕事への謙虚な姿勢を崩しません。新保さんの話や姿勢からは、食材という生命に向き合う者としての「畏怖」や「畏敬」の念を随所で感じました。
最後に
新保さんの仕事の中核にあるのは、「すべてが肉に影響する」という視点です。技術的な要素に限らず、日々の行い、人間関係、さらには自然環境まで、あらゆる要因が最終的な肉の味わいに反映されるという哲学です。
そうした視点と、生命をいただく仕事への責任感が、新保さんのプロフェッショナルとしてのあり方を支える土台になっているように感じました。
対談中には、マッキーさんから『すきやばし次郎』の小野二郎さんや『コート・ドール』の斉須政雄シェフの話題も挙がりました。小野二郎さんは94歳になっても向上心を失わず料理を続け、斉須政雄さんは第一線の料理人でありながら、毎日不安を抱きながら料理に向き合っている。このふたりに共通しているのは、謙虚さ、そして誤解を恐れず言えば、対象に対して神聖な気持ちを持ち続ける姿勢であり、これこそがプロフェッショナルの共通点なのかもしれません。
「すべてがお肉に影響してしまうので」という新保さんの言葉は、単なる技術論を超え、仕事に対する哲学を示しているように思えます。
「畏敬の念を抱きながら仕事を続けることは、どのようにして可能なのか」
その答えはまだ見つかっていません。しかし、この問いこそが「道の人」シリーズで今後探求していくテーマになるはずです。プロフェッショナルとは何か。その本質を問い続けることを、これからの講義でも続けていきます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
おいしい学校では、さまざまな特集テーマで講義を開催しています。ぜひおいしい学校のサイトもご覧ください!