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一頭のゾウとの出会いと別れ

コロナ禍における2年半にわたる留学と、エレファント・ホスピタルでの調査を終えてから、9ヶ月ほどが経った。

久々に自分の個人noteを開いてみると、調査中に溢れてどうしようもなかった気持ちたちと再び出会うことが出来た。
下書きになったまま、公開していない記事も何本かある。

それは苦しくて、吐き出したくて、自分では抱えきれないものたち。当時の私は、なんとか言語化することで、あの場を生き抜いてきた。

三月という一頭のゾウとの出会いと別れ。

日本で新しい生活をはじめたいま振り返ると、全身全霊で三月と向き合っていたのだということがよくわかる。とにかく必死で、目の前で起きる出来事に一喜一憂して、やり過ごすことしか出来ないことがたくさんあって、俯瞰的に見る余裕などなかった。

少しずつ悪化していく身体を前に世話を続けるお婆さん。ゾウ使いのお爺さんは、あまりに酷い傷を見て、三月の側にいることが出来なくなった。それでも、毎日食糧を運び、精霊に祈りを捧げていた。お爺さんの代わりにせっせと三月に果物や水を与える日本人大学院生。事故が起きないようそれを見守る近所に暮らす薬物依存のゾウ使い。三月の状態を日々観察し、葛藤しながらも治療を続ける二人の獣医師。三月が安らかに逝けるよう準備を促す検査技師。治療を続けても死を待つだけの三月と、それぞれ異なる態度をとる人々に囲まれて、どうしたら良いかわからなくなり、毎日のようにトイレで泣いている獣医助手。

三月がいなくなったいまも、ホスピタルのスタッフたちと三月のことを話している。

たった一頭のゾウのこと。私たちは所有者でもゾウ使いでもなくて、たまたま彼女の一生の終わりに居合わせただけ。
なのに、こんなにも三月のことを考えている。それだけ魅力的なひとだった。それだけ私たちが一緒に過ごした数ヶ月は濃厚なものだった。

調査中のデータを整理していると、たくさんの写真や動画の中の三月と向き合うことになる。
レントゲンを撮っているところ、足の消毒をしているところ、レーザー治療を行っているところ。最初の頃はそんな写真が多い。
だが、一緒に過ごした時間が長くなればなるほど、三月の瞳や鼻がこちらを向いている写真や動画が多くなる。

三月も私たちのことを、いや、私のことを考えてくれたりしたんだろうか。

それを知る術はないけれど、私は写真を通じて三月と視線を交わす。

また会いたい。

タイ東北部のクアイのゾウ使いたちは、その多くがゾウの所有者でもあり、ゾウと何十年もの月日を一緒に過ごす。彼らは自分が大事に世話してきたゾウが亡くなったとき、生まれ変わったらまた自分のもとに戻ってくるように祈る。

昔は、それは単なる亡くなったゾウに対する祈りの表現なのかと思っていた。だが、彼らは例えば高齢になって他の地域の観光施設から預けられて亡くなったゾウや、死産だったゾウには、ゾウの星へ行けと言う。彼らが戻ってきて欲しいと願うのは、本当に親しい関係にあったゾウだけなのだ。

今はその切実な気持ちがわかる。

もし三月が生まれ変わったら、お爺さんとお婆さんのもとに帰ることだろう。
その時に私も会いたいと思ってしまうのは、傲慢なことだとわかってる。それでも、会いたいと思わずにはいられない。

出会ってしまったから、私は三月の物語を引き継いでいくのだろう。出会う前の私には戻れないのだ。そうだとすれば、とことん付き合っていきたいと思う。

そんなことを思いながら、またこのnoteを少し動かしてみようかと考えている。

最近、東京自由大学のWebマガジン「なぎさ」での連載を始めさせてもらうこととなった。そちらは、フィールドでの経験と、文化人類学的な見方を交えながら、エッセイを書いていくつもりだ。
こちらは、特に行き場がない書き物や、言葉を探すために綴っているものをアップしたりしなかったりしようかと思っている。

多分、また下書きが増えていくんだろうな。


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Tomoko Oishi
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