ゾウの村の住人、Tomokoの記事。研究のこと、ゾウの村での調査、日々の暮らしのことなどについて書いた記事のマガジン。
タイ東北部スリン県・ブリラム県に暮らす失業ゾウたちを支援する記事を集めたマガジン。失業ゾウ実態調査のアンケートから得たデータをもとに、失業ゾウと生きるゾウ使いたちが運営するYouTubeチャンネルやFBページを紹介中。
私がこの映画を知ったきっかけは、地元のシアターのSNSでの投稿だった。鱗に覆われた顔。こちらを見つめる瞳。そのポスターの構図は、私がフィールド調査中に好んで撮っていたゾウのアップ写真にとても似ていた。 ゾウに見つめられたとき、私は「お前は誰なのか」と問われているように感じる。それは、見つめる誰かと私の関係を問うものであるとともに、多くの動物にとっては挨拶のようなものでもある。そのとき、私は応答を迫られる。 その関係へと誘うような魅惑的なポスターには、『動物界』という
コロナ禍における2年半にわたる留学と、エレファント・ホスピタルでの調査を終えてから、9ヶ月ほどが経った。 久々に自分の個人noteを開いてみると、調査中に溢れてどうしようもなかった気持ちたちと再び出会うことが出来た。 下書きになったまま、公開していない記事も何本かある。 それは苦しくて、吐き出したくて、自分では抱えきれないものたち。当時の私は、なんとか言語化することで、あの場を生き抜いてきた。 三月という一頭のゾウとの出会いと別れ。 日本で新しい生活をはじめたいま振り
年末年始は調査先の倒れたゾウのことが気になって、休みなしで彼女の元へと向かった。 ホストマザーからは年末年始を家族と過ごせないくらい調査先の仕事が忙しいのかとぼやかれた。いつもならホストマザーの気持ちに配慮して「やっぱり行くのやめようかな」と言ってしまうところだが、今回はどうしてもそれが出来なかった。 もう何ヶ月もの間、治療中におやつをあげていた私に対する彼女の態度は、けっこう傲慢だ。 近づくと鼻を伸ばしてきて、私だと確認すると「さぁ、くれよ」と言わんばかりの顔で私を見てく
明け方四時頃、向かいの家にオートマ車が止まる音で目が覚めた。 時間が時間なだけに、強盗かもしれないと思い耳を澄ませた。どうやら向かいの家の息子の友達だったようで、息子のバイクの音とともに車の音も遠ざかっていった。 ほっとして布団に潜り込んだ。 ガチャッ 私の部屋の下に位置するキッチンの裏口が強く引っ張られた音がした。 ホストマザーが起きるには早すぎるし、そもそも内側から鍵を開錠したとすれば静かに開けられるはずだ。 しばらくすると、我が家の犬が激しく吠え始めた。普段は家の敷
スリン象祭りに運営側として携わっている間に、調査先のゾウが倒れた。 博論執筆に向けた長期のフィールドワークを開始して、もう一年以上が経つ。その間に得た経験から言えば、自分の体重を支えることが出来なくなったゾウに残された時間は長くない。 だが、あれから約三週間。彼女はまだ生きている。いま私の目の前で息をしている。 それでも、日に日に死前臭が強くなっていく。内臓が徐々に機能しなくなりつつあるのだ。 身体の表面に出来た傷には、蠅がたかり、蛆虫が湧いている。それを、可能な限り生理
タイには多くのゾウがいる。 人々とゾウのかかわりがどのようなもので、いかなる歴史を紡ぎ出してきたのかは、地域やエスニック集団ごとに大きく異なる。 例えば、林業に従事する南タイのゾウ、エレファント・キャンプで働く北タイのゾウ、観光地や故郷であるゾウの村で働く東北タイのゾウ、そして縮小する森林地帯で暮らす野生ゾウたち。それぞれがゾウ使いや近隣に暮らす住民などと多様な関係を築いている。 私が調査を行っているのは、東北部スリン県およびブリラム県の県境にある「ゾウの村」と呼ばれる地域