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拗らせコンプレックスに6年かけて寄り添ってみた結果

結果

コンプレックスはなくなり、楽しいとすら思えるようになった!

色々なコンプレックス

センシティブにすら分類されそうなこのテーマを書こうと思ったのは今日の私がキマっていたからだ。
危ないことをしていた訳ではない。キマっていたのは見た目だ。ファッションだ。
私の大きなコンプレックスの一つに、ファッションへのコンプレックスがあった。しかし、最近は、着飾るのたのし~~!とすら思えるようになった。

キマった日は、鏡で自分の姿を見た瞬間、気分が上がる。
一日何度でも、鏡の中の自分にふわりと微笑みかけてしまう。
ナルシストだと言われてもかまわない。私はかわいいのだ。

余談だが、とある漫画の言葉を借りれば、かわいいは世界平和のためにある言葉であり、決して、わたしが「かわいい」から他の誰かが「かわいくない」なんてことはない。みんなかわいい。

こじらせまでの道

かつての自分であれば、着飾ることが楽しいなんて考えられなかった。
実際、中学生の頃は、何を着ても似合わないと思っていた。可愛い服や、綺麗な服は私のためにあるものではなく、他のかわいい誰かのためにあると信じてやまなかった。黒以外の、明るい色や、派手な色は拒絶していた。

制服・ジャージで日々を過ごし、部活と勉強、漫画に時間を割いて、私服について考えることが無かった。だから、とてつもなくダサかった。そして、おしゃれに興味はあったが、どうしたらいいかわからなかった。頑張って持ちうるかわいい服を持ち合わせて着飾った。そこに、同級生や家族からの直接的な指摘が何度か重なって私の心は折れた。
きっとそれらは全て、正論だったのかもしれない。けれど、幼く、もろい心には刺激が強すぎた。ずっしりとした重みと痛みを伴ってそれらが月日と共に凝り固まった。そして、いつしか「私は、おしゃれをしてはいけないんだ。」と思うようになっていた。これでもか、というくらい思いっきりコンプレックスをこじらせた。
おしゃれをしようとしても「それはない」と笑われる。必死にしたおしゃれを「小学生みたい」と小声で馬鹿にされる。今となっては歪んだ記憶として定着しているのかもしれないが、そんな後ろ指をさされるような気持でいつもビクビクしていた。

だから、中学の間は前述の通り、黒くて、地味な服ばかり着て過ごした。

なんやかんや回復

そうして、ファッションに対するコンプレックスを、落ちない錆のように、盛大にこじらせた私だったが、高校へ進学し新しい環境へと移ったことで、状況は変わっていった。コンプレックスが解消する方向へと進んでいったのである。
高校を卒業するころには、自分もおしゃれをしていいかもしれない……と思い始めていた。
解消に向けて、小さな変化をスパイラル的に積み上げていった。変化の中での大きなことは2つ。

1つは、服の組み合わせを調べるようになったことだと思う。
家にあった唯一のおしゃれ指南書は「めちゃモテ委員長」の本だった私が、スマホをもつようになり、インターネットという膨大な情報量の指南先を見つけたのだ。これまでは、かわいい×かわいい=最強!!という能天気すぎる考えでしか服を選んでいなかった。そんな自分が、おしゃれな姉がスマホでコーディネートをググっているのを見て、文明を得たサルの気持ちになったのだ。あ~そうすればいいのか、と脳死で納得した。
ただ、クローゼットの中身が絶望的過ぎて、すぐに実践できることは少なかったが、とにかく服を決めるたびに情報を手に入れていった。

もう1つは、友達に服や見た目について肯定的な意見をもらえたこと。JKらしく、前髪きった?と朝一番で言い合うこともしばしば。その流れで「似合ってる~」の言葉がもらえるのが、小さくも毎度嬉しかった。私の高校では、飾り付きの髪留めをつけるのはOKだったため、髪留めを変えては声かけてもらえるかな、なんて淡い期待を抱きながら登校していた。

コンプレックスに寄り添い続ける

上記のような色々な変化と共に、少しずつこすり落とすようにコンプレックスのこじれが解消していった。

ただ、するすると癒されていったわけではなく、苦しくなったり、楽しくなったり、波のように変わっていった。

もうオシャレ分からん! と突き放したこともあった。でも、気が向いたときにまた向き合った。そうやって長い年月をかけてずっと、寄り添い続けた。気がついたら6年もたっていたらしい。それくらいゆるい向き合い方をした。

ただ、オシャレになりたいかも。の気持ちを無視しせず、動き続けたからこそ今がある。

もちろん、他人の言葉や、賞賛で、前を向けた。自分だけの力ではない。だけど、それを受け止めたり、新しい道に繋げていったのは他でもない自分だった。どうやら、自分のコンプレックスをいやせるのは、自分しかいないかもしれない。

決して厳しい目線で「自分しか癒せないんだからやれよ!!!」というわけではない。コンプレックスは癒せなくても、なんなら回避してもいいと思う。

ただ、私の場合、コンプレックスを癒したら、今まで見ていた世界より、ちょっとだけ、いや、とっても鮮やかになったという話である。

これからもファッション楽しみたいな~、と思えることが、私にとって、じんわりとうれしい。

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