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ビスターリ、ビスターリ【2011.11 高野山町石道】

大学1年、マグマ溜まりのような爆発寸前のエネルギーが身体の内側にずっとあって、それをどう発散させて良いのかわからず、あほみたいな距離を歩いたり走ったり自転車漕いだりしていた。遠出で電車に乗るときはほとんど始発、しかも最寄り駅の電車だと始発が遅いとかで、わざわざ大阪駅まで10kmくらい自転車漕いで、あるときは歩いて行ったりしていた。

夏休みになるといよいよ暇、大阪~奈良を1周するように100kmくらい歩いた。わざわざ神戸まで30km歩いて行ったのも理由などなく、いや理由はあったけど、ほぼ衝動に近い。あとReebokの靴の威力を発揮させたかったのも少しある。

結局のところ、歩いて遠くに向かうことに、ものすごく手応えがあったのだ。歩いた分だけ疲れるし、けれでも歩いた分だけ進んでいる。1歩歩くと景色は変わるし、1時間歩くと気温も変わる。歩いていると、いずれ限界が訪れ、自分の力を思い知る。あのときの自分にとっては、それがものすごく大事なことだった。身体に魂がついてきている感覚、ネパールのシェルパ族は登山の際、この感覚を大事にしていて、”ビスターリ、ビスターリ(ゆっくりゆっくり”と声を掛け合う。魂と身体は一緒でなければならないのだと。

高野山町石道ハイキング 045

高野山に行こうと思ったのも、やっぱりエネルギーが有り余っていたからだった。高野山には町石道という参詣道があり、その他女人道など計7本ほどの道が残っている。南海電車を使うと難波から直通で行けるところもまた良い。鈍行でぐいぐい山中に入り込んでいく道中もまた素晴らしい。僕らは町石道の途中地点の上古沢から歩くことにした。紅葉の盛りを少し過ぎた晩秋の頃合いの話。

高野山町石道ハイキング 052

町ごとに立てられた町石が、まだ見ぬ高野山の姿を仄めかす。歴史ある道には、年月に応じた人の痕跡や面影が色濃く出ているもので、町石道もまた、高野山への人々の信仰心と祈りが、やおらかたちを為すかのように。平地とは異なる冷気は、ぼくらが大阪の町中から来たことをはっと気づかせる。

高野山町石道ハイキング 084

山上にある高野山に向かう道は、当然ずっと登りだ。ひたすら登り続け、どんどん標高を上げていく。信仰というものがどういうものかは分からないが、人の想いの強さならわかる。そういうものが道から伝わってくる。祈りとは願いであり、想いであり、人の想像力の賜であり、人が何千年と続けてきた原初的な文化のひとつ。こういう自然と文化が一体となってあり続ける土地が高野山だ。

途中の茶屋で食べた焼き餅がめちゃめちゃおいしく、ほんでまた良いところに茶屋があるもんなのだ。これから登りが急になるぞという、ひとつ手前の場所。あの茶屋はいまも元気だろうか。熊野古道や大峰山にあった茶屋跡に残された防風林の姿が思い出される。やっぱい人の痕跡は簡単には無くならない。

高野山町石道ハイキング 071

綿密な計画を立てたわけではないので、肝心要の奥の院には行けず仕舞。高野山の町が広すぎたのも誤算だった。金剛峯寺と女人道だけ寄るとすでに日暮れ、帰りはバスとケーブルカーを使わせてもらった。難波から2時間くらいでこんな場所に着けることが不思議でしょうがなかったが、私鉄電車の入り乱れる大阪の乗り換えの多さや南海電車の鈍行の速度が、この2時間の中できっちり身体と魂を運んでくれるのでなんとなく気持ちいい。

次の日にはまたエネルギーが有り余って、伊丹空港まで歩いてたりしたわけだけども。歩けども歩けども、そんな19才だった。

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