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文化的想像力と芸術的想像力は何が違うのか【2014.10 岩湧山】

民族学博物館の企画展に「イメージの力」展なるものがあった。数々の民族的意匠は、人々による文化的な想像力のなかで育まれたものであるが、それは芸術のなかで発揮される想像力とは一体何が違うのか。それを問いかけるべく、本来、民族的道具として展示されている民族学博物館内の収蔵物を、芸術分野のディレクションをもとに展示し直すという、極めて挑戦的な企画展であった。

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文化も芸術も、どちらの源も同じ想像力から湧いてきているのだろう。しかし、芸術はどこまでいっても人間個人の想像力に留まる一方で、文化は集団による想像力から展開されていく。これまで幾重ともなく積み重ねられてきた先人たちのイメージの力が、文化の奥に連なっている。物語を抱えた想像力、その圧倒的な重厚感。

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文化的想像力は、芸術に耐えうるけども、芸術的想像力はきっと文化を背負いきれないだろう。創作者一人の想像力に留まらない厚み、それぞれの土地で育まれてきた合理的な試行錯誤の結果。人間の地力の象徴。

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なぜだろう。自然を見ていると、人間の育んできた文化の尊さを感じずにはいられなくなるのだ。ある種、理解しがたい部分を含むのが自然であるが、その理解不能な部分に対して、人間は文化や神話という装置を用いて、実に美しいかたちで、自然の理解不能さを理解不能なまま(要約することも簡略化することもなく)、見事に表現してきた。山を歩いていると、どうしてもそういうことに想いを巡らせてしまう。

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1回足を運んだだけでは物足りず、結局2回行ったわけだが、その2回の合間に登ったのが、大阪にある岩湧山である。卒論の中間発表を控えているなかでの登山、大学生活最後の秋を、すすきが見頃を迎えている山で満喫することにした。

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完全に樹冠が密閉した人工林の中を進んでいく。斜面の方角が南向きなのもあり、過密な人工林のなかを太陽光が幾何学的に照らしていて美しい。密閉しているのに明るいという矛盾が成立していて面白い。

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岩湧山は、関西圏では人気の山で、シーズン時は家族連れのハイカーさんで賑わう。アクセスは良好で、ピストンすればお手軽に登れるし、縦走すればそれなりの負荷がかかるので、いろんなニーズを満たしてくれている。

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大阪と和歌山の県境にある紀見峠まで縦走し、くたくたになって下山した。峠といっても、集落が成立するくらいには開けており、南海電車も走っているため、山奥の雰囲気ではない。結局わかったのは、自然を受け止めるだけの文化的な受け皿を自分が持ち合わせていないこと、ただただ自分の未熟さばかりである。

文化的想像力にはほど遠く、自分ひとりの物語として心に綴じられていくのみ。こういうもどかしさを抱えながらも、いかにしてこのギャップを埋めるかの答えは、いまもまだ見つからないままである。

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